飯田市山本杵原学校(旧山本中学校)校舎前にある枝垂れ桜。松竹映画「母(かぁ)べえ」のロケが行われた。他の名の売れた桜が比較的電線や電柱で場所取りが大変なのに大して、この桜は旧校舎がむしろ昭和の時代を思い出させ空に向かって何もないのが良い。自分自身も遙か○○年前に通った学校を思い出す。4月という節目の時期、日本人の文化にはふさわしい花、と言うか桜が先で我々の文化がそれに合わせて成長したのか?いずれにしても春は桜で認識される。
2010年4月8日木曜日
2010年4月6日火曜日
2010年4月4日日曜日
桜 中央アルプス ~ 大草公園
天気予報とは異なって今日は朝から青空が顔を出した。昨年までと方向性を変えて、今までにおさえた桜はひとまず忘れて新たな桜見物に出かける。喬木の氏乗の桜が気になっているのだが、どうやらまだまだの様子。妻の都合と併せて大草公園へ足を伸ばしてみた。竜東から眺める中央アルプスはまだまだ残雪があるが、冬と呼べる季節の積雪とは異なり、荒肌を所々さらけ出してきて黒筋が目立つようになってきた。例年、5月の連休当たりまではその存在をはっきりとするのだが、今年は少々早めに無くなってしまうのではないかと思う。
大草公園で一回り桜を見たあと、天竜川縁へ下り駒ヶ根の様子を見に回った。道中意外なところでアルプスと桜の共演がおさえられた。そらく南駒当たりでは無いかと思うのだが、日向きが悪くベストとは行かなかった。ここら辺も来週あたりが満開と呼ばれる状況か?毎年のことだが意外にもあっという間に桜の嵐は去っていく。
2010年4月3日土曜日
大宮神社の桜 ~城山の桜
桜本番となった飯田。今日は仕事帰りに大宮を覗いてみた。並木通りの桜は開花基準木があるくらいだから多くの人が行き交い、提灯がぶら下がって春先の花見を演じている。その大本、大宮神社は並木に負けて足が向かない場所になっていたが、タイミング良く車を停めることが出来て境内を歩き回ってみた。今まで神社ばかりを気にして気がつかなかったが、実は結構な建物が奥深く、幅広く広がっている。境内をぐるっと見渡すだけでも何本かの桜が見え、本社へ上がると見えなくなってしまう。
いったん並木側へ出て見たが、確かに桜の量では圧倒されるものの町場の信号、車、特に垂れ下がって横断する電線が興ざめしてしまう。何件かの出店が境内に陣取りいかにも春祭りを思わせる雰囲気、昼間はまだしも夜になれば子供連れで繁盛するだろう。季節もの、しかも知らないうちに散りゆく桜故意を決して花見に出かけない限りあっという間に終わってしまう。
こちらの三色はどうだろう、これは城山。もう20年ほど前に何度か仕事で行った場所だが、あまりに有名な桜へ目が行っていて何年も見に行かなかった。車で走れば今の時期やたら桜が見られるが、気がつくと意外にも身近な桜を見落としている事の多さに気がつく。今年は春先の暖かさも手伝ってか残雪の南アルプスとの共演が早くに終わってしまう気がする。
2010年3月28日日曜日
高松薬師堂のシダレザクラ
飯田市街は7年に一度のお練り祭りでにぎわっている。春休みを終え上京する娘と桜の見物に出かけてみた。開花宣言以来桜は咲いたという認識=感覚が大きいが、標高、緯度によってずいぶん違う。市内でも南部の方は十分開いて来ているが、標高の高いところではまだまだ、おまけに午後には雪が舞い出す始末で春は来そうでなかなか来ない。上郷にある高松薬師堂は昨年から今年にかけて周りの施設も整備され、今まで寄りつきにくかった場所が駐車場も整備されて身近になった。
幹の頭部は樹木全体を守るために切り落とされているが、それにしても見事な枝垂れ桜だ。以前からこの時期になるときになっていたのだが、周りが整備された事でいっそう桜が世に出て、車も駐められこれから当分の館美しい色を演出してくれる。
2010年3月27日土曜日
中村ブレイス 中村敏郎社長 座談会
本日飯田市で行われた「南アルプス世界遺産登録フォーラム」にパネラーとして招かれた中村ブレイス(鳥取県太田市大森町) http://www.nakamura-brace.co.jp/社長中村敏郎さん。フォーラムに先駆けて行われた座談会に出席してきた。開口一番何とも優しい紳士、全てにおいて口調が変わることなく全てが優しく行われる。彼は石見銀山遺跡を世界遺産登録するのに尽力された一人だ。おそらくその話はフォーラムで行われたのだろうが、35年前たった一人で10坪の築200年の納屋を改築し始めた肢装具。ドリルとグラインダーだけで始めたそうだ。京都で6年修行、その後大学を卒業し米国留学で技術を身につけそのまま直接ふるさとである大森町へ戻り開業。今日の話の中で何がポイントであったのか、「夢をあきらめない」しかもそれは「一歩一歩確実に前へ進む」と言うことだった。そしてふるさとを大切に思う心。これにつきるだろう。
肢装具士による医療スタッフの一員として義肢装具の製造・適合業務、義肢装具の開発を行い、全国と世界の各地で使用されているそうだ。最近では、メディカルアート研究所を設立し、乳癌術後用人工乳房”ビビファイ”や、身体のあらゆる部分の欠損や損傷を補正する”スキルナー”の研究・開発も行っている。大森町は人口450人ほど、身近なところで1,000人を切って過疎だと騒ぐよりもたった一人の思いで若い人たちが居住するまちづくりにも興味が湧く。社長は本当にふるさとを愛し、人を愛しおごることなく夢を追い続ける人なのだろう。2枚目の写真、何でもない手に見えるが義手。シリコン性で爪もシワも指紋までも自然に出来ている。これこそ職人技。
2010年3月26日金曜日
2010年3月21日日曜日
靖国の桜

さて、東京へは何度も行くのだが、未だにいったことのない靖国神社とはいったいどんなところか…もちろん戦死者の皆さんがまつられ「靖国で待つ」といった言葉は我々の年代では十分承知している言葉だ。
境内を歩きながら、同期の桜や特攻隊…戦争にまつわるいろんな言葉が頭をよぎる。傍らにある 遊就館 などは入館料に不釣り合いな十分すぎる展示で他を圧倒する。それぞれのおもいが熱い証拠、時間とともにそれらが薄れていかないことを考える必要があるだろう。遊就館に関することは別の機会に書くとして、我々の年代、まだ戦争という言葉を十分に育つ課程で聞いてきた者たちにとってはこの年になって改めてその歴史にふれるよい機会になる。今年二十歳になった娘も、学校で学んであろうその知識の断片が一挙にここで結びつけられた様子であった。

たまたまではあるが、仰々しい報道の人たちが多くその能舞台の前にいたのは確かだが、それが何を意味するのか?妻が桜の撮影会では?というのですっかりそう思いこんでいたが、後にニュースで 桜の開花の判断 であった事がわかった。開花は明日という事ではあったが、同時に昨夜東京地方に吹き荒れた強風で桜の木が一本折れてしまった事の話題になっていた。参道を入ると左手すぐに一本だけ満開に近い桜が咲き誇る、とたんに 同期の桜 が頭を流れ出し、散り際、潔さ… いろいろな言葉が頭をよぎり出す。私は初めてなのでその桜の木一本一本にそれぞれの札が物語っている事も戦後60年を過ぎるという今にもその結果が生き続けていることが伺えた。賛否両論いろんな考えはあるだろうが、この過去の日本の事実は素直に受け入れ、これからをどうするのか?我々日本人民族の永遠の課題だろう。
2010年3月20日土曜日
卒業式

我が息子が今日、大学の卒業を迎えた。あっという間の4年間だった。思い出せば4年前、オリエンテーションを終えて思惑と違いふさぎ込み、後ろ髪を引かれながら入学式を終えて帰ってきた妻の悩みが全くの嘘の様に生き生きとして友達と自由にやってきたと思う4年間だった。どこの親も同じであろう、子を心配する気持ちは。と思っても我が子を心配するのは絶えることがない。卒業式に臨み、その内容よりは走馬燈の様に流れるこの4年間が我が子の卒業を本当に喜びに感じさせる。その時間がすめばまた新社会人としてやっていけるのか心配はつきない生活が始まるのはわかるのだが。

一番心を打たれたのは、卒業生を代表する女子大生の答辞であった。
最後の最後に味わった就職難航のつらさ、今後を見据えて少子高齢化が進む国での覚悟、学生から社会人への入り口にいる彼らの考えていることは大人だった。
私の卒業は25年前、その頃はこんな景気状態など考えられず、就職はほぼ皆決まっていった、就活などという活動も3年生からやるなど考えられなかった。思うに成熟した日本国がどうなっていくのか見当もつかないが、せめてまじめな若者もまじめに社会の一員として生きていく決意を持っていることは多くの大人に知ってもらいたい。
2010年3月14日日曜日
2010年3月6日土曜日
駒ヶ根市郷土館

今週は雨、明日は仕事。今までたまった写真の整理をしながら家の中で過ごすこととした。先週光前寺へ出かけたときに、駒ヶ根市郷土資料館と言うところを覗いてみた。今まで何度も通っている道端なのだが、車を停めじっくりと見たのは初めて。中に興味が湧いたのではなくその明らかな大正デモクラシー的な西洋的建物が気になってのことだ。入り口に書いてある紹介の能書きによれば、赤穂村、赤穂町、駒ヶ根市と3代にわたって使われた庁舎らしい。

以前にも書いたかもしれないが、私の妻は駒ヶ根育ち、駒ヶ根を訪ねる度に妻の幼少時代を想像する機会が多い。当然昭和のしかも○○年前の話であるから今のような裕福な状況での少女ではない。自転車を走らせこの周囲を走り回っていた幼少の妻を見てきたであろう建物に感謝。
2010年3月5日金曜日
南信州・飯田 写真集
2010年2月27日土曜日
光前寺

先週から暖かい日が続き、昨夜は相当な雨降りだった。天気予報とは裏腹に朝日が差し込み日射しが暖かいのだが、気象は不安定なのか東にそびえる南アルプスは雲をかぶり、西の中央アルプスもくもがたれ込んでいる。この暖かさに、例年5月までは見られるアルプスの残雪が心配になり可能性のある中央アルプス駒ヶ岳千畳敷カールを見に出かけた。
光前寺は妻と知り合ってから私自身が知ったお寺ではあるが、妻は幼少から駒ヶ根で過ごし、自分の遊び場だったことから私にはどことなくなじみが深くカメラを片手に良く行く場所だ。
時節柄受験期、桜の絵馬に「合格」と言う文字が書かれた絵馬が多い。つい最近、息子と娘の受験の時は私もそうであった。

それにしても観光客が多い。地元の定常的にお参りをする人たちも勿論いるが、観光バスで回ってくる人たちの多いこと。早太郎を ソウタロウ と言う人たちが多いが、ハヤタロウが正解だ。
光前寺本堂、塔が白く染まった中央アルプスをバックにはえる。
一人でカメラをぶら下げ、時間を気にすることなくぶらぶらと歩くには良くなじむ場所だ。
春先、桜の季節にお茶会があるのか?着物姿の女性とよく似合うしだれ桜がまだ蕾もなく枝桜となっているが、青空に枝が生えすぐそこまで来ている春を感じる。
イメージ写真を変えました。

ブログ村に加入以来使ってきた「蓼科 御射鹿池の秋」の写真から愛機の写真にイメージを変えました。そもそも20年前、我が子供たちを撮るのが始まりで、初めて買った一眼レフ。さんざん迷ったあげくミノルタのαシリーズだった。α7、α707、α9と使ってきて、いざデジタルとなってレンズをそのまま使いたくてsonyを選択した。今でも使うのは50mmF1.4と500mmF8レフ。それ以外のズームレンズは結果として広角側が狭く改めてレンズをそろえることとなった。
お気に入りは、sony16-105、タムロン70-200、90マクロ。いろいろ言われるが16-105は切れが良く発色も良く感じる。若い頃どうしても望遠側に目が行きがちだったが、今となると16-105は銘玉に感じてならない。16-80にはかなわないのだろうが、10-105も侮れない。
2010年2月21日日曜日
紅白梅

この土日を利用して、父母を連れて息子と娘の大学を見に行ってきた。これはかねてより父母の希望で、この3月卒業する息子が在学中に行きたいというものであった。
たまたま帰省していた娘を同乗させてまずは娘の学校を、そして娘のマンションへ。私も含め生まれたての時から知っている孫娘が、自分たちでは尻込みしてしまう大都会東京で一人暮らしをしていると思うと感心の一言であっただろう。
一方息子は息子で着の身着のまま、アルバイトに明け暮れ、そこそこ自由に過ごした4年間であったと私は思っているが、こちらは男であるから我々の知らないところでそれなりにそれなりの場を過ごしていると思う。
息子の大学ではすでに梅が開花。紅梅・白梅が正面玄関では咲き誇る。
一泊二日の久しぶりの父母を連れての車旅、疲れたのは私、だが父母にはそれなりの記憶として残ってもらいたい。
2010年2月14日日曜日
樹氷

権兵衛峠、トンネルを抜け木曽側に出てすぐ、一面異様な情景でキラキラと氷片が舞うかのように粉が舞っていた。樹氷。(樹氷が正解か?霧氷・粗氷・樹霜…いろいろあるようだが、総評して樹氷でよいと思う。。)
通りかかったおじさんの話では、何年もここを仕事に通うが初めての出来事だと言っている。昨夜は軽い雪降りだったのが、今朝方雨に変わりそのまま凍り付いた。と言っている。
木曽へ抜ける道路よりは、奈良井ダムへ抜ける路沿いの方が一面この状況だと言う。たまたま妻と木曽へ出かけたのだが、この情景には大きな広いものをした気がする。日を浴びてギシギシと氷が溶けて樹木の枝から落ちる様子は、古代から続く自然の不思議さを物語っていた。
2010年2月7日日曜日
摺古木山 ~ 安平路山 …と思われる。
蛇峠山

帰路につく途中、蛇峠山がくっきりと浮かび上がった。手前の馬の背から頂上付近のTV、NTT、アメダスの施設がはっきり見える。
参考)http://wadanoko.blogspot.com/2009/04/blog-post_07.html
http://wadanoko.blogspot.com/2009/10/blog-post_25.htmlもちろんこちらもスノートレッキング状態だろうが、冬場山頂を目指す人たちのブログを見ると積雪もしっかりあるようだ。南方向には「黄金に輝く太平洋」と言われるが私はまだ確認したことがない。
秋、紅葉の時期は足を伸ばすが、この状況では山頂は遠慮したい。
高嶺山 …断念

今週末は高嶺山の樹氷をと思いながら、昨日の荒天に断念、今朝は雲が多いものの青空に誘われて高嶺山を目指す。とはいうものの積雪は必至、4WDの乗車で出かけた。国道はいたって快調、凍結も残雪もない。但し、塩カル著しくドアノブなどはじゃりじゃりするくらい。道中治部坂スキー場では久しぶりにスキーの様子、愛知県系の車の多い事。
と、高嶺林道入り口は…、積雪著しく断念せざるを得ない。車の走った痕跡はあるので、オフロード系の自動車が入っているのだろうが、私の車では四駆ではあるものの車高が低くカメ必至。先日の陣馬形のスタックで懲りている妻は見ただけで尻込み。私一人なら何とか行こうと思うが、今日のところはここで引き返す事とした。当然林道入り口付近では長者嶺すら見ることは出来ないが、四駆の軽トラ必携というところだろうか。
2010年1月31日日曜日
乙女滝

299を下って横谷渓谷へ入るとすぐに乙女滝がある。2ヶ月ぶりの奥蓼科だが、この時期氷結した滝で有名だ。滝の下には多くのカメラマンが陣取る。ここでも感じたが、アマチュアのカメラマンはマナーが悪い。たいそうな機材を背負い、場所だけでなく空間も大きく専用しながら自分だけが良ければ良い状態。中には滝の落ち口まで上がり誰も写真を撮れない時間を専用してしまう。一時は仕方がない、だが極力慎むべき行為だろう。
と、それは良いとして、結氷で有名な乙女滝が結氷しないと絵にならない。しぶきの飛ぶ範囲はつららが出来てはいるのだが、本体は勢いよく流れ落ちている。とかくすぐに 地球温暖化 に結びつけられるのだろうが、自然を相手にちっぽけな人間がその自然の技を写し撮るのはそう簡単ではない。
八ヶ岳 2

諏訪湖湖畔から茅野に向かい、152を上る。理科大の少し上から152から外れ299を東へ。ここら辺から八ヶ岳は一段と大きくなってくる。途中何度か車を停めおさめる。
赤岳手前の噴火口が荒々しく、この位置からだとカールのように写るが、地形図で見る限りはそれほど傾斜は緩やかではない。
昔々、八ヶ岳と富士山がお互いに自らの背が高いとけんかをしていたが、たまりかねた阿弥陀様が両方の山頂にトヨをかけ水を流したところ富士山側に水が流れた。負けて怒った富士山は八ヶ岳を蹴飛ばした、結果八ヶ岳は8つの嶺を持つ山に変わってしまった。もし富士山が蹴飛ばさなければ、富士は日本一の山ではなく日本のK2、北岳はK3だ。事実、八ヶ岳が一つの山であれば山頂は富士を凌ぐ高さであったらしい。3万5千年前の最後の噴火が大規模で自ら山を吹き飛ばしてしまったらしい。
もっとも、吹き飛ばなければ「八ヶ岳」とは名がつかなかったろうが。
八ヶ岳

先週閉鎖道路ばかりで大変な目にあったのだが、思い立って高ボッチを目指してみた。…なんと言うことか、そこまで出かけて冬期は閉鎖だそうだ。思い立って動く前にネットで調べれば何でもない事だったろうに、日向きも良く富士山まで見えるかと思ったのだがどうしようもない。1,000円とは言え高速代もかかっている。そこで蓼科の御射鹿池はどうなっているか足を伸ばすこととした。ナビを効かすと高速を使えと言うが、それではおもしろくない。一般道で諏訪湖の湖南を回るルートを取り、かねてより気になっていた八ヶ岳をおさえることとした。諏訪湖の北東にそびえる八ヶ岳、蓼科山だけはプリンの様に頭だけを見せている。
伊那谷に住む我々は、東に南アルプス、西に中央アルプスを眺めて狭い谷に暮らしているが、湖畔の眺めはそれだけで平地の広さを感じる。
2010年1月24日日曜日
鳥倉林道× ⇨分杭峠× ⇨陣馬形× ⇨間ノ岳

昨日とは異なり今日は風がない。雲の湧きもなく青空は晴れ渡っている。南か北か迷ったあげく鳥倉林道を登ろうと思い、妻と弁当持参で出かけた。道中大鹿までの道は雪もなくいたって快調、全く雪の様相が無い。
ところが、いざ林道口へたどり着くとなんと閉鎖。…松川当たりで表示してくれよ。と言いつつ戻って分杭からの中央アルプスをおさえようと152を北へ。ところがこれがまた閉鎖。こちらは冬期閉鎖なのか?それにしても国道たるもの閉鎖は無いだろう?またまた戻って折草峠へ登る。こちらは最後の急な七曲がりが残雪おびただしい。折草から左へ、陣馬形を目指す。比較的こちらからの道路は幅員も広く安全なはず…ところがだ、8割登った当たりから積雪が厚い。すでに陣馬形のテレビ棟がそこに見え、あと200mほどのところで車が カメ。もちろん4WDなのだが、前にも後ろにも動かない。仕方がないので微妙な遊びの中で強引に雪穴から車を勢い出す。500mは下っただろうか?オールバック。方向転換しやれやれとおもいきや、大きな間ノ岳(と思われる)が目の前に。下界からは見ることの出来ない大きさで鎮座していた。
木曽駒ヶ岳

陣馬形へのアタックをあきらめ雪道を戻ること、折草峠まで下りそこで昼食。
一面は融けかかった雪に覆われているが、日射しが強くさほど寒くはない。秋口は紅葉を求める他県ナンバーの乗用車が多いのだが、車も全く通らない。のんびりと過ごして峠から駒ヶ根に向けて下り出す。峠の前後は決まって七曲がり、しかも急な道路が続く。下ってしまえば雪もなくいたって快適だ。中沢の部落まで下ると竜西では見られない、伊那前岳に隠された中岳、木曽駒ヶ岳の中央アルプスの嶺が見られた。
この折草から駒ヶ根に抜ける県道210号線は、峠からいったん下ってなだらかになると、その谷の正面に経ヶ岳、黒沢岳が正面に見える。おそらくその陰には乗鞍もいるのであろうがそれは望めない。
乗鞍の絶景はやはり野麦峠だろう。
2010年1月16日土曜日
木曽駒ヶ岳、千畳敷カール

これが木曽駒ヶ岳千畳敷カール。駒ヶ岳というとそのほとんどがこの千畳敷カールの画像が多いが、駒ヶ岳自身は右のでっぷりとした山、伊那前岳の陰で見えない。カールのトップ、突き出た部分が宝剣岳、通常ロープーウェイで千畳敷まで上がり、千畳敷を登って稜線に上がり、宝剣岳に上った後に稜線を戻って中だけを経由し駒ヶ岳に至る。これはオーソドックスだが、これを北側から登るとあの聖職の碑、小黒川渓谷 http://wadanoko.blogspot.com/2009/10/blog-post_18.html
からの登りになる。
私も一昨年、娘の夏休みに合わせて二人で登る計画を立てたが、直前になって病に襲われ断念した。千畳敷からは富士山も見えるようだ、百名山や名峰へ登ることは不安な体だが、千畳敷くらいは縦走したい。と言いつつももう15年ほど前になるだろう、家族6人で夏に登ったが、吹き付ける風と雨で千畳敷ホテルから出られなかった記憶がある。今年を入れて2年、娘が学生の内に何とか登頂したい。
南駒ヶ岳と思われる。…養命酒
シャンデリア
2010年1月10日日曜日
成人式

下の娘が成人式を迎えた。上の兄の時は自宅で着替え会場へ送るだけだったが、女の子は手がかかる。朝から美容院、着付け、写真撮り。まさしく分刻みで父親は送り迎えばかりだ。それでも我が子が成人式を迎えるのはうれしいことだ。つい最近産声を効いたばかりの気がするのだが、もう二十歳。
地元に住む子たちは前撮りで写真をすますのだろうが、他県の学校へ行っている子供たちはそうはいかない。前撮りなどする時間もなく、今日が唯一着物の日だ。
美容院と着付けはよいとして、めちゃ込みの写真館は大変だ。どこの会場も開会の時間はほぼ同じ、ところが写真館の時間は押し気味で、時間が迫る中親の気持ちばかりが焦る。私の頃は夏の成人式、Yシャツにネクタイで出かけ、いいだけ飲んでみんなと遊び回った。もう何年も前のことだ。
時代の背景か?どの子もレンタルの振り袖、これが一昔前ならここぞとばかりに振り袖を作ってやるのだろうが我が家を含め今の経済状況ではそんなわけにはいかない。しかも出来るだけそこそこでやすく。
写真館で複数の女の子たちがそろうと明らかに着物の善し悪しがはっきりとする。さすがにこれはと思う着物の子はじーさんばーさんまで同伴で一族写真だ。
我が家もせめて家族で1枚撮れば良かったか…出かけてからの後悔だ。
2010年1月9日土曜日
仙丈ヶ岳

摺古木山をおさえた後、竜東をしばらく北へ走ってみた。あの中央アルプスの南端がどこまで見えるのか?さらには見る角度によってかなりの形態を変化させる山並みを確認しながら。
豊丘へ入った辺で風越山は無惨にも富士山の形を崩してしまい奥行きが出て全く違う山になってしまう。さらに摺古木は山陰に隠れてしまいあの何ともかまぼこな姿を隠してしまう。とおもいつつふと正面には仙丈ヶ岳がそびえている。多くの場合西から東に向かって仙丈の扇をめいっぱいに広げた姿をおさえるのだが、若干南東によると圧縮されて扇が広がらずかなり険しい山に見える。もちろん険しいのではあるが肩幅を効かせたその姿とはかなり印象が違う。昼近くなり背に上がった日が南へ回り込むとその雪肌はなおいっそう険しさを輝かせる。
冬の飯田まち

この時期風越山が雪姿を維持するのは珍しく、その奥に控える摺古木山も雪を残すのは珍しい。早朝、朝日が当たり始める頃、飯田のまちから眺めるとほぼ同じ標高に見える両山だが、奥に控える摺古木山の山頂に日が当たりオレンジ色に輝く。白川義員の世界百名山ではないが、山頂だけに日をいただいた山は誠にきれいだ。
特に、雪化粧の山肌をオレンジ色に染めると、何ともいえない輝きを放て一際美しい。
ここ連日正月から青空をバックに雪をまとった摺古木山を眺めながら何とかおさえたいと思っていたのだが、ようやく今日天気と時間に恵まれた。
竜東から引き寄せようと思ったが、この谷なんと距離の短いことか、対岸の山が50mmでおさえられる。麓には冬色に染まった飯田のまちを従えて雄大にそびえる巨大な大地のシワはなだらかな中にも厳しさを刻む。
このなだらかに見える摺古木山も東西方向には結構な渓谷を刻み、あの向こう側は木曽谷、木曽町と大桑村になる。
ちなみに左横の風越山、会津にも同字同名の風越山がある、会津ではその隣にはこれまた富士山がある。
2010年1月1日金曜日
謹賀新年

あけましておめでとうございます。
今日は天気予報通り、朝から晴れて天気予報ハズレかと思いきや、予報通り昼からは空は冬空、雪が舞う一日となりました。それでも新年の初日の出は祈ることが出来、時を同じくして雪化粧の風越山をおさめることが出来ました。
この形の風越山が私は一番好きです。山頂までの形が平面的に富士型となり、その前面の尾根部分がつぶれて形を整えます。これが少々南北にズレるとその奥行きが形として現れ、全く違う山に見えてきます。
しかし、残念ながらこの位置からでは送電線がじゃまとなり山頂のアップはかないません。生活のためとはいえ誠に残念な景観です。
さて、内に秘めた目標をめざし今年もがんばりましょう。
本年もよろしくお願いします。
2009年12月29日火曜日
仙丈ヶ岳

ここのところ恵まれなかった天気に、昨日からこの年末休みの天気を期待し、目が開くとともに東の空を眺めたが、あいにくすっきりとアルプスの稜線が見えない。平日の仕事へ行かなければならない時には朝焼けからオレンジ色に染まる稜線が見られるのに。もっとも寒さに弱く、目覚めの悪い私には一番苦手な状況なのだが。家の中から東の空を眺め、ガスった空気がすっきりとするのをまちながら様子見をしていると、10時頃から一気に青空がはっきりと色を出してきた。あわてて機材を積んで西側の山麓を走る道へ駆け上がってみた。
仙丈ヶ岳、どうだろう、私的にはこの肩幅を効かせた屏風の形は男山を思わせる形状で、一度見れば忘れることは出来ない扇を広げている。この伊那谷南部からはどこからもこの山を見ることが出来る。特に中央高速を西から走ると、とたんにこの時期白く染まった山並みが目に飛び込み、中でも北に位置するこの山はその雄大さを誇っている。
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