2012年3月31日土曜日

ど根性松 と 爪の跡 ~陸前高田

かねてから陸前高田の 松 を見に行きたいと行っていた草加に住む息子がようやくたどり着いた。前回2月に誕生日前に見たいと言って出かけたが、あいにくの雪天気で郡山で断念。宇都宮に戻って宿泊をして帰ってきた。今回は用意周到、宿もちゃんと予約してのチャレンジだった。当然松の写真は送ってくれるように頼んでおいたもの、彼のi-phon3Gによるものだ。テレビで見るだけの私はすでに枯れてしまったと聞いていたので、もう伐採されたものだと思っていたが、それなりにたち続けている。
こちらは大破した車、おそらく津波の置きみやげであろうが、ここまで破壊する水のパワーは計り知れぬ自然の力を見せつけている。もちろん他のものとぶつかりながらのこの状況だろうが、それにしてもひどいものだ。とかく我々には遠い東北で起こった惨事で済んでしまいがちだが、やはり百聞は一見にしかず。この地でこの本物を見る事が本当の現場の空気を感じられるのだろう。その意味でそこに自らをおいた息子はよい経験をしたのだろうと感じさせられる。

2012年3月25日日曜日

庭では ふきのとう

本日は天気予報通り、朝方は晴れ間の濃い光を受けて春めいたようきを感じたのであるが、10時を過ぎて動き出す頃には雪が舞いだし青空、日射しが見える一方小雪が舞う天気となった。
帰省中の娘が社会人に向けての手続きなどを済ませるために一日動いたのだが、庭では春を告げるフキノトウがしっかり顔を出していた。
おそらくしばらく前から頭を見せていたのだろうが?ここのところ2週間ほどは娘の引っ越しや卒業で2週留守をしていたのでゆっくりの見ることもなく気がつかなかった。桜も全国的に遅れ気味で今年の春は遅めの到来ではあるが、間違いなく一歩ずつ近づいてきているのは間違いない。

2012年3月24日土曜日

遠山郷の桜

例年この時期に遠山郷を訪れると遠山側の堤防の川津桜はそれなりの花をつけているのだが、今年は界隈で言われるとおり遅めの開花となるようだ。
今日の天気も曇り雨という予報とは全く異なり朝から雨。時より青空は一部に見えるものの雨模様が続く。堤防の桜の木を一本ずつ見るとどこかしらにすでに開花してしぼんでしまったものがついてはいるが、蕾はふくらんでいつでもGoの状態ではあるものの開花とは言い切れない、後一週間ほどか?比較的早めのこの桜も今年は自然の成り行きで遅めの開花となりそうだ。

2012年3月19日月曜日

サンシャイン60

娘の卒業式のあと妻と所沢に出かけ所用を足した後、そのまま池袋へ足を運んだ。特にアテのあるわけでは無く、強いて言えば妻の土産の買い物と私は買えないカメラ類とレンズ類の冷やかしがその目的であったが、池袋の駅を下りてふと思いついて妻とサンシャイン60へ上ることとした。私は学生時代に両親と一度上ったきりであるからほぼ30年ぶりに上ることとなる。今となればその記憶は上った事だけでどんな様子だったかは憶えていないが、30年の年月は随分その眺めを買えてくれたのだろう。分速600mのエレベーターはあっという間に展望室へと到着をする。
当然ながら634mの東京スカイツリー、当然先端は雲の中と思いきや、実はこれが全容だ。快晴ではなく曇り空ではあったが、雲が低く立ちこめなかったために見えているらしい。この写真をおさめた場所が海抜251mと表記されていたので、単純に標高差を求めただけで正確な高低差は出ないが、それでも明らかにツリーの方が380m以上高いこととなる。意外にも妻も喜んだサンシャイン60はこれまた意外に新しい我々夫婦の名所となりそうだ。

卒業式

娘の4年間の大学生活の区切りがつきいよいよ来月からは社会人となって働くこととなった。長いようで短い、あっという間の出来事だった気がする。受験前の下見に言ったのがつい先日のように感じられる。いやいや生まれてあ時の情景さえ思い出され22年間もあっという間だった。
この連休は引っ越しと卒業式、さらにはマンションの引き渡しと息子の所へ出かけ、仕事のことは全く忘れて疲れながらもリフレッシュをした気がする。
約100人の卒業生は一人一人が卒業証書と学位認定書を受け取り、私や息子のように代表が受け取るわけではなくそれはそれは厳かな出来事だった気がする。特に仲の良かったお連れがそれぞれの意志で別々の職場に向かっていく姿はある意味頼もしく、そしてまたその思い出は生涯の宝物となるだろう。私の娘の仲の良かった子達はそれぞれ長崎、富山、東京と全国区の付き合いだったが、これが今後も続いていくことを願う。あらためておめでとうと言いたい。

2012年3月12日月曜日

奥多摩の雪

娘の卒業に伴う引っ越しでこの週末は東京で過ごした。この場所にお世話になって丸4年、娘に言わせると学生の間でいろいろと話をしてみるが過ごしやすい環境で4年間を過ごせたようだ。
その4年間で妻と足を運んだが、今年の今の季節は格別であった。初めてビルの間から望む山並みに雪が見えた。
おそらく、奥多摩の方向、関東山地、伊豆半島の押し上げた日本のシワに違いないと思う。昨年災害で全てが狂った我々はもう1週間あとにここを訪れていたが、既に桜が咲いた状況で早めの春を感じていた。ところが今年はこんな状況。富士山の雪は当たり前だが、東京で見る雪景色は意外にも寒さを感じさせられた。
朝日を浴びて静かな住宅街では朝からカラスが賑やかだ。
高層化したマンションのにわを我が物顔で飛び回り、ひたすらゴミをあさるように見える。決まって屋上にあるアンテナ類を止まり木として当たりを見回している。勿論カラス以外の鳥もいない分けではないが、人間と一番共存が進んだと思われるこの鳥は都会の中でもたくましく生きている様子に見える。

2012年3月3日土曜日

七椙神社 ~松川町

親しくつきあう方が、この七椙神社の話を聞かせてくれた。
どうやら白い蛇も存在する何とも私的興味を引くお話しだった。早速その足で神社へ行ってみた。勿論前々から承知している大きな桜の木のある神社であるが、奥行き深くたいそう立派な神社だ。
地区の神社としては珍しく、手が行き届いていて解説の札やパンフレットなどがおいてあり、その歴史に触れることが出来る。中でもその由来だけでなく神社一口メモと書かれた伝説は日本古来からある神社の成り立ちに近いものの、この地で生まれたであろう物語となっていて興味を引く。
最上段の社に上ってみると、神社特有の屋根が特に目を引き、歴史あるものの手入れがされ、地区との密接のほどを伺わせてくれる。大島領の鎮守としておおよそ900年この地を見てきたのであるが、その名の通り樹齢1000年を超える7本の杉(椙)の木が境内に有り、これが本当に1000年であれば、明らかに石積みの築造後に植えられた杉以前の人口構造物だとつまらない疑問を抱いたりもする。いずれにしても少し興味を持って接してみたくなる神社だ。
参考に、強い生命力と強運を持つ千年杉は 病まない(病にかからなかった) 落ちない(雷が落ちたことがない) のご神木を使用した手作りお守りをおすすめする。