2011年3月27日日曜日

東京では春

東北関東大震災、福島原発被災者の皆さん重ねて心からお見舞い申し上げます。
先週の連休に予定していた息子、娘の所への軽い引っ越し作業は、少なからず災害の影響を受けて先延ばしした状況だが、年度末、年度初め、さらには地方選挙を控え今週末の24時間強行軍としないとどうにもまわる事ができず妻の仕事が終わってからの昼夜を問わない状況となってしまった。
ネットなどでガソリンの状況などを調べながら、さほど深刻な状況ではないと想像していったが、やはり私が移動した東京郊外のルートでは待つ事もなく、給油制限もなく安心の満タン走行ができた。
さて、東京郊外の状況。あまりの寒さにダウンをまとって動いたが、それでもまだ飯田では見られない桜が咲いている状況が見られた。


東京郊外の住宅供給地。高層マンション群の狭間に小さなほこらがあり、かつては多くの人の集いの場であったであろう歴史を感じる情景に、一足早く咲いた桜がその存在を誇示している。
近場ではバラも咲き季節を疑う情景ではあるのだが、そこに手入れを行う人々の和があると思うとまだまだ捨てたもんじゃないと思える。
我々田舎者は、とかく東京都と聞くと近代的コンクリートジャングルを想像し、直線と冷たさでできあがった街並みを想像してしまうが、なになに近代的都市計画を取り入れた東京こそ人工的とは言え緑化率は街中に十分確保されている。
災害復興、原発の封じ込めが順調に、早々に進む事を願い、ゆとりを持って自然に心洗われる状況の到来を願う。。

2011年3月20日日曜日

春間近


東北関東大震災の被災者の皆さん、福島第1原発による避難者の皆さんに心からお見舞い申し上げます。
基本的に毎週更新を目指してきましたが、先週は地震による我が子供たちとの連絡に追われお休みをいただきました。近代的デジタル機器の意外なもろさをこの地震で思い知らされ、あまりに虚弱な基盤の上に成り立っている現代の通信技術に少々振り回され、なおかつがっかりした次第です。
そうした悲惨な情報がテレビを占領していますが、我が家の庭でも草花が蕾や花をつけふきのとうが咲き出しました。
間違いなく自然は繰り返され冬を越した植物は新たな季節を迎えています。
同様に必ずや復興は行われ再興すると思われます。
かつて戦後の復興、高度成長を成し遂げた我が日本国民は、その持ち前の勤勉さによりおもいもよらぬ早さでの復興が、そしてこの悲惨な出来事に負けることなく強い民族意識が成し遂げると信じます。
まだ原発においては予断を許さぬ状況ではありますが必ずや克服することを祈ります。

2011年3月5日土曜日

中央アルプス南端・南アルプス

このところの天候で、中央アルプス南端、南アルプスは日々山の色合いを変化させる。雪が降ったかと思うと暖かい日が続き白黒を繰り返す毎日だ。朝起きて一番最初に見る摺古木はその象徴で、三角にとがった山容を白く染めたり半分黒くなったり、残念ながら黒一色となったり、寒さに凍みる時期では春が早く来るように願うのであるが、勝手な事に山並みが白から黒に移ると寂しく感じたりする。
南方から風越山を中心に望んでみた。市街地からは正面に風越山を望みその奥にそびえる2,000m級の山並みは幅広く見えないが、市内を移動してその裏側までのぞき込むと、平面的な山の様子が立体的に見える。これだから地形はよく分からない。左端の摺古木から安平山、奥の白く見える山は念丈、奥念丈あたりではないかと思われる。こうやってみるといかに風越山が小さいか。谷の底で生きる我々の見えている範囲は狭いか痛感する。
取って代わって伊那谷東を見ると、天竜川の河岸段丘の裏に南アルプス=赤石山脈がそびえる。特に山脈名の赤石から南は話題に少なくその山名も広く知られないが、北の千丈、北岳から南は聖、上河内あたりまでその山頂を見せてくれる。この伊那谷はなんと言ってもよく見える千丈が存在感があり、なおかつ谷の北端から南端まで見える事もあり代表的な存在であるが、我々谷の南部に住む者にとってはむしろ赤石以南の山をもっと意識して親しむ事が必要だと思う。