神田明神からさらに10分ほど、湯島天神がある。神田明神よりもまだ300年の歴史を持ち、学業の神様で有名、折しも受験シーズン、境内にはもう場所がないほどに絵馬が吊されている。
湯島聖堂の移転とともに天満宮が置かれたようだが、日本の文教の中心地、ここが日本の学問の中心地と言っても過言ではないのだろう、…と言う事でここが文京区である歴史を理解した気もする。
ただいまは丁度 梅祭り 開催中。頭痛が起きるくらいの寒さの中昨日からの積雪とともに梅の花が見頃を迎え多くの人出にぎわっていた。
周りが高層ビルに囲まれる中でこのような歴史物があるのは東京特有なのかも知れない。
参考)http://www.yushimatenjin.or.jp/pc/index.htm
2011年2月12日土曜日
神田明神
湯島聖堂をあとにして10分ほど歩くと、程なく神田明神にたどり着く。あの神田大明神だ。
歴史も古く1300年前から江戸の庶民を守り、あの徳川家康が関ヶ原の戦いの必勝祈願を行い見事に勝利をおさめた日が明神祭の日。それで縁起が良く徳川がひいきした神社である。
んー、徳川と言えば日光東照宮を思い出させる派手な色遣い、ここでもその勢いは十分に感じられる。田舎者には神田大明神と言えば神田と思えるが、この神田明神の所場は広い。参道は秋葉原の駅まで続き想像外に大きな構えとなっている。境内に入ってそれほど大きく感じるものではないが、人並みは多く盛っている。
参考) http://www.kandamyoujin.or.jp/profile/
歴史も古く1300年前から江戸の庶民を守り、あの徳川家康が関ヶ原の戦いの必勝祈願を行い見事に勝利をおさめた日が明神祭の日。それで縁起が良く徳川がひいきした神社である。
んー、徳川と言えば日光東照宮を思い出させる派手な色遣い、ここでもその勢いは十分に感じられる。田舎者には神田大明神と言えば神田と思えるが、この神田明神の所場は広い。参道は秋葉原の駅まで続き想像外に大きな構えとなっている。境内に入ってそれほど大きく感じるものではないが、人並みは多く盛っている。
参考) http://www.kandamyoujin.or.jp/profile/
湯島聖堂
さてさて、KYさんに更新の催促をされました。
定常的に見ていただける方がいる事は大変ありがたい事で、この場を借りて感謝申し上げます。
この連休を利用して10日の午後から東京へ来ております。主なる目的は娘の軽い引っ越し。一ヶ月間息子のアパートへ同居するための準備です。その件は昨日11日に事なきを終え、毎度ながら東京へ夫婦できたときはどこか一カ所観光をする事としております。
今回はお茶の水から上野へ、まずは「湯島聖堂」です。
昨日からあいにくの雪降りで東京でも雪が降る実感と、頭の痛くなるような寒さを体験しました。
基本は徳川時代の儒学の普及所だったものですが、関東大震災でそのほとんどが消失し再建されたものの様です。しかしながら御茶ノ水の駅から歩いてくると、一件異質な雰囲気を醸し出す塀に囲まれ、意外にも静かな雰囲気を保っています。塀の向こうには東京医科歯科大学の建物が高くそびえますが、ここだけの歴史を調べても林羅山など著名な歴史的人物の名前が出てきます。筑波やお茶女の前身。当然ながら儒学と言えば、"孔子"。一見して孔子と分かる像とともに何となく中国の少林寺を思わせる広い「大成殿」=昌平坂学問所が日本古来の建築物とは異なる時間を流れさせている。
参考)http://www.seido.or.jp/
最後にあの さだまさし の 檸檬(レモン)の歌詞を。。。。この頃の彼は暗い。
あの日湯島聖堂の白い石の階段に腰かけて
君は陽溜まりの中へ盗んだ檸檬細い手でかざす
それを暫くみつめた後で
きれいねと云った後で齧る
指のすきまから蒼い空に
金糸雀色の風が舞う
喰べかけの檸檬聖橋から放る
快速電車の赤い色がそれとすれ違う
川面に波紋の拡がり数えたあと
小さな溜息混じりに振り返り
捨て去る時には こうして出来るだけ
遠くへ投げ上げるものよ
君はスクランブル交差点斜めに渡り
ながら不意に涙ぐんで
まるでこの町は青春達の姥捨山みたいだという
ねェほらそこにもここにも
かつて使い棄てられた愛が落ちてる
時の流れという名の鳩が舞い下りて
それをついばんでいる
喰べかけの夢を聖橋 から放る
各駅停車の檸檬色がそれをかみくだく
二人の波紋の拡がり数えたあと
小さな溜息混じりに振り返り
消え去る時には こうしてあっけなく
静かに堕ちてゆくものよ
定常的に見ていただける方がいる事は大変ありがたい事で、この場を借りて感謝申し上げます。
この連休を利用して10日の午後から東京へ来ております。主なる目的は娘の軽い引っ越し。一ヶ月間息子のアパートへ同居するための準備です。その件は昨日11日に事なきを終え、毎度ながら東京へ夫婦できたときはどこか一カ所観光をする事としております。
今回はお茶の水から上野へ、まずは「湯島聖堂」です。
昨日からあいにくの雪降りで東京でも雪が降る実感と、頭の痛くなるような寒さを体験しました。
基本は徳川時代の儒学の普及所だったものですが、関東大震災でそのほとんどが消失し再建されたものの様です。しかしながら御茶ノ水の駅から歩いてくると、一件異質な雰囲気を醸し出す塀に囲まれ、意外にも静かな雰囲気を保っています。塀の向こうには東京医科歯科大学の建物が高くそびえますが、ここだけの歴史を調べても林羅山など著名な歴史的人物の名前が出てきます。筑波やお茶女の前身。当然ながら儒学と言えば、"孔子"。一見して孔子と分かる像とともに何となく中国の少林寺を思わせる広い「大成殿」=昌平坂学問所が日本古来の建築物とは異なる時間を流れさせている。
参考)http://www.seido.or.jp/
最後にあの さだまさし の 檸檬(レモン)の歌詞を。。。。この頃の彼は暗い。
あの日湯島聖堂の白い石の階段に腰かけて
君は陽溜まりの中へ盗んだ檸檬細い手でかざす
それを暫くみつめた後で
きれいねと云った後で齧る
指のすきまから蒼い空に
金糸雀色の風が舞う
喰べかけの檸檬聖橋から放る
快速電車の赤い色がそれとすれ違う
川面に波紋の拡がり数えたあと
小さな溜息混じりに振り返り
捨て去る時には こうして出来るだけ
遠くへ投げ上げるものよ
君はスクランブル交差点斜めに渡り
ながら不意に涙ぐんで
まるでこの町は青春達の姥捨山みたいだという
ねェほらそこにもここにも
かつて使い棄てられた愛が落ちてる
時の流れという名の鳩が舞い下りて
それをついばんでいる
喰べかけの夢を聖橋 から放る
各駅停車の檸檬色がそれをかみくだく
二人の波紋の拡がり数えたあと
小さな溜息混じりに振り返り
消え去る時には こうしてあっけなく
静かに堕ちてゆくものよ
2011年2月5日土曜日
虻川渓谷
久しぶりに気合いを入れて冬の山へ。と言っても昨日は立春。意外にも厳寒を思わせる凍り付いた水辺はここ2日ほどの寒さのゆるみで溶け出してしまった。中央アルプスの南駒あたりの積雪も一挙に減り黒い岩肌が多くなってしまった。まぁ、このままこの冬が終わるとは思えないのでまた冬将軍はやってくるのだろうが。
砂防ダムの上流ではおそらく全面結氷したであろう湖面の氷は溶け出し、この渓谷特有のエメラルドグリーンの水が川底を現し、氷の下で元気に冬を越しつつある魚たちが泳いでいる。
撮影中対岸の山で大きな音が立ち、どこかで土木工事をしているのだろうと思っていたが、だんだんとその音は自分に近づき気がつけば湖面にはった氷の割れる音であった。遠くでは単純に音であったのが、近くでは氷同士が押し合いきしむ音も伴ってくる。ネイチャーパワー、自然の力と情景、生み出す力は何とも力に満ちている。
さらに上流に登ると、北欧フィヨルド氷河の河口にも見えるゴルジュ(この規模をゴルジュと呼ぶのか?)が目に飛び込んできた。勿論表面は氷、さらにその上に積雪を載せているのだがその下をくぐり抜けて流れ出る水は一段と音を大きく響かせ淵に流れ出てくる。
夏であれば落差のある良いせせらぎなのであろうが、今はその姿をかくして水を下流へ追いやっている。標高を抑える事を忘れてしまったが、そう高い場所ではないがおそらく日照時間と風の向きによって気温が上がらないのだろう。気温は-2℃、体感は風を伴いもう少し寒く感じ当然手はかじかんでしまった。
さらに上流。渓谷の両岸の山が高いので日の当たる場所は限られる。これだけ見ると春先の雪融けを思わせ、水車でも有れば完全に春なのだがそうはいかない。積雪は有るものの水位がまだ高いときから凍り出したと思われる水面はそこそこ厚さを保ち、なおかつその表面は「ナメ」ってテカテカ、この場所の厳しさを感じる。水は清く少し深くなると緑を帯びていっそう綺麗さを訴えてくる。
砂防ダムの上流ではおそらく全面結氷したであろう湖面の氷は溶け出し、この渓谷特有のエメラルドグリーンの水が川底を現し、氷の下で元気に冬を越しつつある魚たちが泳いでいる。
撮影中対岸の山で大きな音が立ち、どこかで土木工事をしているのだろうと思っていたが、だんだんとその音は自分に近づき気がつけば湖面にはった氷の割れる音であった。遠くでは単純に音であったのが、近くでは氷同士が押し合いきしむ音も伴ってくる。ネイチャーパワー、自然の力と情景、生み出す力は何とも力に満ちている。
さらに上流に登ると、北欧フィヨルド氷河の河口にも見えるゴルジュ(この規模をゴルジュと呼ぶのか?)が目に飛び込んできた。勿論表面は氷、さらにその上に積雪を載せているのだがその下をくぐり抜けて流れ出る水は一段と音を大きく響かせ淵に流れ出てくる。
夏であれば落差のある良いせせらぎなのであろうが、今はその姿をかくして水を下流へ追いやっている。標高を抑える事を忘れてしまったが、そう高い場所ではないがおそらく日照時間と風の向きによって気温が上がらないのだろう。気温は-2℃、体感は風を伴いもう少し寒く感じ当然手はかじかんでしまった。
さらに上流。渓谷の両岸の山が高いので日の当たる場所は限られる。これだけ見ると春先の雪融けを思わせ、水車でも有れば完全に春なのだがそうはいかない。積雪は有るものの水位がまだ高いときから凍り出したと思われる水面はそこそこ厚さを保ち、なおかつその表面は「ナメ」ってテカテカ、この場所の厳しさを感じる。水は清く少し深くなると緑を帯びていっそう綺麗さを訴えてくる。
2/7 NHK 撮るしん 放送。1/40 F16 ISO200 450mm
さて、今日望んだ一番の奥。この奥へ登ればキャンプ場、分岐を経て新九郎の滝。とうてい雪道、いや氷道を30分以上歩いて滝をおさめる気にはならない。川沿いに走る道路からは死角だが、川辺に降りて歩けばけっこうこの様な情景が有る。氷瀑の出来方はおおよそつららが出来てそれがその表面水でだんだんと覆われて氷の塊となるが、この川の自然石を覆う綺麗な氷達も出来方は同じようだ。一瞬花嫁のウエディングドレスを思わせるような丸みを帯びたその形は冷たさの厳しさよりはなぜかしら清楚な、それでいて角のない柔らかさも感じさせる。
2011年1月30日日曜日
宝剣岳
毎度、千畳敷カールにまつわる宝剣岳。
今回はここのところの雪で、あの宝剣岳もかなり白くなったのではないか?と言う淡い期待で出かけたのだが、この千畳敷カールを持つ宝剣から伊那前岳の外縁山ではトップを誇り、おそらく氷河が削り落とす最初のスタートではその勾配は直壁で、雪がまつわりつくシワなどは何も無いのであろう白く化粧する余地を与えてくれない。
テストもかねてかなりの焦点距離に持ち上げてみた。400mm+APSC+テレコン×2 =35mm換算1,200mm。宝剣の頂上に誰か立っていないかと思ってみたが確認できない。それでもこの厳寒の中雪壁を登る登山者は絶えず、右側のルートとルートを上る2名の姿が確認できる。バックの空が深い青に変わり、しかも雪をかぶったこの山には何かしら魅力を感じる。手前千畳敷ホテルから少し下ったカールの縁部分はモレーンなのか?ふっくらなだらかな部分がトップの厳しさに対し優しさを感じさせる。
今回はここのところの雪で、あの宝剣岳もかなり白くなったのではないか?と言う淡い期待で出かけたのだが、この千畳敷カールを持つ宝剣から伊那前岳の外縁山ではトップを誇り、おそらく氷河が削り落とす最初のスタートではその勾配は直壁で、雪がまつわりつくシワなどは何も無いのであろう白く化粧する余地を与えてくれない。
テストもかねてかなりの焦点距離に持ち上げてみた。400mm+APSC+テレコン×2 =35mm換算1,200mm。宝剣の頂上に誰か立っていないかと思ってみたが確認できない。それでもこの厳寒の中雪壁を登る登山者は絶えず、右側のルートとルートを上る2名の姿が確認できる。バックの空が深い青に変わり、しかも雪をかぶったこの山には何かしら魅力を感じる。手前千畳敷ホテルから少し下ったカールの縁部分はモレーンなのか?ふっくらなだらかな部分がトップの厳しさに対し優しさを感じさせる。
2011年1月23日日曜日
赤石岳 ・ 大沢岳 ・ 中盛丸山 ・ 聖岳 ・ 兎岳
今週末は体調不良により、三脚を担ぐ気はおろか外へ出る気力も失い家の中で過ごすこととなった。インフルエンザでなければよいのだが。…多分風邪。
そこで先週18日におさえた赤石山脈の勇姿を。竜西から午後の日がまわっての状況。残念ながらコンデジで周辺光量不足が目立つが十分勇姿は表現できる。
左(北)から「小赤石」「赤石」「大沢」「中盛丸山」「聖」「兎」。聖が兎より南に位置するが、赤石・大沢・兎でクランクとなっており、実際には奥へ折れ曲がって聖は兎より左に見える。
赤石は日本ベスト7。3,120m。大沢が2,819mで59位。中盛丸山は2,807mで65位。聖は3,013mで21位。兎は2,818mで60位。飯田市内でもある程度標高を稼がないと赤石は見ることが出来ないが、竜東のある程度の高いところへ登るとご覧の通り。
最近感じるところ、南アルプスという表現はそろそろやめて元祖赤石山脈と表現するのが妥当だろう。そこに赤石が有るのだから。
そこで先週18日におさえた赤石山脈の勇姿を。竜西から午後の日がまわっての状況。残念ながらコンデジで周辺光量不足が目立つが十分勇姿は表現できる。
左(北)から「小赤石」「赤石」「大沢」「中盛丸山」「聖」「兎」。聖が兎より南に位置するが、赤石・大沢・兎でクランクとなっており、実際には奥へ折れ曲がって聖は兎より左に見える。
赤石は日本ベスト7。3,120m。大沢が2,819mで59位。中盛丸山は2,807mで65位。聖は3,013mで21位。兎は2,818mで60位。飯田市内でもある程度標高を稼がないと赤石は見ることが出来ないが、竜東のある程度の高いところへ登るとご覧の通り。
最近感じるところ、南アルプスという表現はそろそろやめて元祖赤石山脈と表現するのが妥当だろう。そこに赤石が有るのだから。
北岳 ・ 中白根山 ・ 間ノ岳 ・農鳥岳
さらに北方向へ振ると、左(北)から日本第2の標高を誇る「北岳」「中白根山」「間ノ岳」「農鳥岳」がそびえる。
北岳は3,192m、中白根3,055m、間ノ岳3,189m 第4位、農鳥岳3,051m 第15位と日本の屋根を司るそうそうたるメンバーが林立する。前述したように北岳から一旦下って中白根山手前で標高3,000mを迎え、そこから間ノ岳のピークを越えて3,000mを切るまでの間は日本一長い超3,000mの稜線が2.5km続く。
北岳は3,192m、中白根3,055m、間ノ岳3,189m 第4位、農鳥岳3,051m 第15位と日本の屋根を司るそうそうたるメンバーが林立する。前述したように北岳から一旦下って中白根山手前で標高3,000mを迎え、そこから間ノ岳のピークを越えて3,000mを切るまでの間は日本一長い超3,000mの稜線が2.5km続く。
2011年1月15日土曜日
不動滝 …氷瀑
高森町の「不動滝」へ。諏訪湖の全面結氷がニュースになり、一昨日は不動滝の氷結がニュースとなった。新聞では積雪45cmと書かれていたが、行ってみれば四駆であれば十分終点の駐車場までは行く事ができる。多くの車が登ったわだちがあり、駐車場からも多くの足跡が確認できた。折しも伊那谷西側の山間は雪が舞う天候であったが、この自然が作り出す青白い冷たさが何ともこの地の冷え込みを語っている。
ここ何年か諏訪湖の御神渡りもなく、奥蓼科の乙女滝も氷瀑とはならなかった。どうやらこの冬は冷え込みが厳しく、しかも早い時期にやってきているようだ。積雪もあるものの滝壷は氷のかたまりとなっており滝壺ではしぶきを浴びる。
帰り道、某ヤザワ君が登りで乗用車を狭い道に横たえ塞いだ状態で苦慮していた。リアタイヤは側溝を越えてボディーが擁壁に支えられて止まった状況。聞けばスタットレスではあるもののFFだそうだ。これを皆で押しだし帰ってきた次第だ。
積雪は45cmはないものの、やはり四輪駆動車でないと無理な氷瀑だ。
2011年1月9日日曜日
経ヶ岳・黒沢山
人馬形の山頂からも登場した経ヶ岳・黒沢山だが、おそらく宮田村に属するのだろう。手前の尾根と経ヶ岳との間の洞があの権兵衛峠の谷になる。経ヶ岳の西方向にせり出した稜線は南北に見事な稜線を通しながら綺麗なラインを出している。この山まで行くと西側は日本海へ流れる分水嶺を有し木曽谷へ流れ込んだ雨は梓川方向への向かっていく。
千畳敷同様古代この山並みが出来た頃にどのような山容で、さらに氷河にどのように浸食されてこの綺麗なラインが出来たのか思いを巡らせるとほんの一瞬の我々の人生の間に変わるはずもない情景は間違いなく未知の姿に向かっている事が想像できる。
千畳敷同様古代この山並みが出来た頃にどのような山容で、さらに氷河にどのように浸食されてこの綺麗なラインが出来たのか思いを巡らせるとほんの一瞬の我々の人生の間に変わるはずもない情景は間違いなく未知の姿に向かっている事が想像できる。
千畳敷カール
先月の12日 http://wadanoko.blogspot.com/2010/12/blog-post_13.html の様子からすると、年末年始の雪をいただいて相当な白さを増しているのではと思いつつ気になっていたのだが、切り立った宝剣では雪が積もるはずもなくその岩場は相変わらず石目を出していた。
今回は少し角度と距離を変えて南側から遠目におさえてみたが、あらためて氷河期の終わりにこの地形を造りながら氷河が後退したと思うと、伊那谷は赤石山脈からの崩落と、木曽山脈からの崩落、その両方を受けて相当な堆積物が生じたのだろう。そして天竜川がその堆積物を運んだのか?または伊那谷自体も氷河の南下を受けて削られたのか?自然のなせる技でできあがった自然美であるが、そこに住み着いた我々など歴史的にも新参者であり、その存在期間も取るに足らない時の一瞬なのだろう。
今回は少し角度と距離を変えて南側から遠目におさえてみたが、あらためて氷河期の終わりにこの地形を造りながら氷河が後退したと思うと、伊那谷は赤石山脈からの崩落と、木曽山脈からの崩落、その両方を受けて相当な堆積物が生じたのだろう。そして天竜川がその堆積物を運んだのか?または伊那谷自体も氷河の南下を受けて削られたのか?自然のなせる技でできあがった自然美であるが、そこに住み着いた我々など歴史的にも新参者であり、その存在期間も取るに足らない時の一瞬なのだろう。
2011年1月6日木曜日
経ヶ岳・黒沢山・美ヶ原
新春の陣馬形山から伊那谷北方向、左手には遠く経ヶ岳、黒沢山が白く鎮座する。右方向の丸味を帯びた山は美ヶ原、陣馬形山頂の双眼鏡からは美ヶ原のアンテナがはっきり見える。
右手手前の山と美ヶ原との間に諏訪湖があると思うと、なんと伊那谷は短いのだろう、一群一市という言葉があるが正に少子高齢化が進む現在、一群一市どころか一谷一市で経済自立を目指さないとこの谷には人がいなくなってしまうかも知れない。
右手手前の山と美ヶ原との間に諏訪湖があると思うと、なんと伊那谷は短いのだろう、一群一市という言葉があるが正に少子高齢化が進む現在、一群一市どころか一谷一市で経済自立を目指さないとこの谷には人がいなくなってしまうかも知れない。
仙丈ヶ岳・北岳・中白根山・間の岳・農鳥山
陣馬形山山頂から南アルプス方向、雲が多く農鳥から南方向は時々稜線が覗くだけではっきりと見えなかった。千丈の左手はその姿の通り鋸岳。初冬の初冠雪に比べるとしっかりと雪をいただき遠目にもその積雪の深さを感じさせられる。くどいようだが中白根山手前から標高3,000mに達し間の岳のピークを過ぎるまでの間、約2.5kmが日本一超3,000mの稜線が長い区間だ。
白根三山という言葉があるが、私は北岳・中白根山・間の岳と思っていた。調べてみると北岳・間の岳・農鳥岳が白根三山らしい。ただ、この縦走コースには北岳3,192m、中白根山3,055m、間ノ岳3,189m、西農鳥岳3,051m 、農鳥岳3,026mと、なんと五山も3,000m級の山が 並んでいる。伊那谷の平地を南北に走るとほぼどこからも見られるのはこの高さ故かも知れない。
なお、手前大鹿村の牧場では積雪の上に群れをなして走り回る鹿の姿が見られ、道中でも鹿の声と姿を目にした。
白根三山という言葉があるが、私は北岳・中白根山・間の岳と思っていた。調べてみると北岳・間の岳・農鳥岳が白根三山らしい。ただ、この縦走コースには北岳3,192m、中白根山3,055m、間ノ岳3,189m、西農鳥岳3,051m 、農鳥岳3,026mと、なんと五山も3,000m級の山が 並んでいる。伊那谷の平地を南北に走るとほぼどこからも見られるのはこの高さ故かも知れない。
なお、手前大鹿村の牧場では積雪の上に群れをなして走り回る鹿の姿が見られ、道中でも鹿の声と姿を目にした。
2011年1月2日日曜日
風越山 ~ 摺古木山 ~ 安平路山
中央アルプス南端、標高2,200m級の山並みも白装束をまとい冬本番を迎えた。残念ながら待っても待っても稜線は雲から解放されなかったが、例年になく年末から雪が降り寒さも一段と厳しくなった。すがすがしい日射しを浴びながらいつもと同じ静かなまち並みは雪をいただいた麓の下新たな新年を迎えた。
2010年12月26日日曜日
伊那山脈
一週間ご無沙汰しました。先週は中に1日お休みがありましたが、これと言った自然の変化は見られず、寒さと相まってひたすら家の中で過ごしておりました。
さて、金曜日から降り出した雪は本日午前中まで降ったり止んだり。昨夜は世の中が眠りについたあとさらに降ったらしく今朝は道路を含め一面白銀の世界でした。
午後になって若干の日射しが射し伊那谷西側の中腹まで登り、雲で見えない南アルプスの勇姿の手前、中央構造線に沿った伊那山脈(この様な言葉は子供の頃から知らず、ここ数年で憶えた言葉)の積雪を見てきました。元来南アルプスの西側に屏風のごとく脇役で存在する山並みも、この降雪で雪景色、標高差による見事な横一線の降雪ラインを出して化粧をしております。
さらに南方向に目をやると、普段は目立たない標高の高い山も積雪でその姿を見せています。こちらの方向に高いところでは1600mを越える熊伏山や1200mを越える黒石岳、1000mちょっとの戸倉山が見えているはずです。(残念ながらこの山を確認できていません。)いよいよ冬将軍到来、平年よりは早めの気温低下、1年を通じて帳尻を合わせる自然のパワーの前に非力な人間はしたがう事しか出来ません。。。。
2010年12月12日日曜日
千畳敷カール
昨日は千畳敷を撮りたくて空の様子を伺っていたが、日が射すものの東西に有る南・中アルプスの山際は雲がたれ込めその稜線は見られなかった。
今日は期待通りの青空が広がり稜線が望める。この地方の山は東に南アルプス、西に中央アルプスに挟まれいずれのアルプスも南北に走るため午前中央、午後南というのが日向きの王道。まずは比較的容易でなおかつあまり皆が撮らないいつもの場所へ。35mm換算600mmで千畳敷の様子をうかがってみた。この位置からだと千畳敷ホテル、宝剣、中岳、伊那前岳は望めるが駒ヶ岳(正確には木曽駒ヶ岳)は望む事ができない。但し、木曽谷側から望めないこのカールは、伊那谷側に暮らす者としてはかけがえのない財産だ。
今日は期待通りの青空が広がり稜線が望める。この地方の山は東に南アルプス、西に中央アルプスに挟まれいずれのアルプスも南北に走るため午前中央、午後南というのが日向きの王道。まずは比較的容易でなおかつあまり皆が撮らないいつもの場所へ。35mm換算600mmで千畳敷の様子をうかがってみた。この位置からだと千畳敷ホテル、宝剣、中岳、伊那前岳は望めるが駒ヶ岳(正確には木曽駒ヶ岳)は望む事ができない。但し、木曽谷側から望めないこのカールは、伊那谷側に暮らす者としてはかけがえのない財産だ。
2010年12月4日土曜日
初冬の飯田まち
昨夜伊那谷北部から車を走らせたときに松川・高森間では雨から雪に変わり、積雪の様子はなかったが吹雪く様子だった。こういった天気のあとはほとんどの場合翌日は晴れ渡り青空が広がる。
案の定、一面に立ちこめた霧が晴れ上がると白く装った山並みが洗われ、数日の内には無くなってしまうだろう初冬の風景が広がった。
これが年を越え厳冬期にはいると張り詰めた冷たい空気でまた少し違った堅さが現れる。
この足で赤石林道旧道を駆け上がり上村まで行って一回りしたが、期待した池口岳は全くの逆光の中輝くばかりで絵にならなかった。
来年のテーマ、「遠山谷」を意識する情景に少々気合いが入った。
案の定、一面に立ちこめた霧が晴れ上がると白く装った山並みが洗われ、数日の内には無くなってしまうだろう初冬の風景が広がった。
これが年を越え厳冬期にはいると張り詰めた冷たい空気でまた少し違った堅さが現れる。
この足で赤石林道旧道を駆け上がり上村まで行って一回りしたが、期待した池口岳は全くの逆光の中輝くばかりで絵にならなかった。
来年のテーマ、「遠山谷」を意識する情景に少々気合いが入った。
2010年11月25日木曜日
勝林院
地味だけど大原 勝林院。あまりに有名な三千院の隣にあって極めて地味。但し、この地域の住所を調べると「大原勝林院町」となっている。詳しくは知らないがおそらく想像するにこちらの寺の方が古いのであろう。
見るからに館自身も随分老朽化しているが、三千院との比較が先行するからであろうか?本堂のみ、周りの庭も小さいがそれだけにこじんまりとした古さを感じさせる。
後ろに控える山は雑木林に覆われているが、そのさらに奥に見える紅葉の樹木が返って奥行き感を与えておそらく意識したであろう造園の意識を感じさせられる。
さて、3日間を振り返って。若干既に触れてはいるが秋の京都は贅沢そのもの。四季を問わずおそらく京都は一月ほどかけないと見尽くす事は出来ないであろう。今回のテーマ東山は主立った所を回るのにも丸2日間ではとうてい足りなかった。先を急ぐ旅ではなく行き先の目的はありながら贅沢に納得いくまで時間をかけて見て回れば東山でも1週間は欲しいところだろう。
出かける前、無謀にも嵐山も一回りする予定ではあったがそれは次回の楽しみとして正直「また行きたい」と言う言葉で3日間を締めくくりたい。
見るからに館自身も随分老朽化しているが、三千院との比較が先行するからであろうか?本堂のみ、周りの庭も小さいがそれだけにこじんまりとした古さを感じさせる。
後ろに控える山は雑木林に覆われているが、そのさらに奥に見える紅葉の樹木が返って奥行き感を与えておそらく意識したであろう造園の意識を感じさせられる。
さて、3日間を振り返って。若干既に触れてはいるが秋の京都は贅沢そのもの。四季を問わずおそらく京都は一月ほどかけないと見尽くす事は出来ないであろう。今回のテーマ東山は主立った所を回るのにも丸2日間ではとうてい足りなかった。先を急ぐ旅ではなく行き先の目的はありながら贅沢に納得いくまで時間をかけて見て回れば東山でも1週間は欲しいところだろう。
出かける前、無謀にも嵐山も一回りする予定ではあったがそれは次回の楽しみとして正直「また行きたい」と言う言葉で3日間を締めくくりたい。
三千院
京の旅3日目。残念ながら今日は帰らなければならない。来年銀婚を迎える妻とは私が大学を卒業する年の冬に京都を旅した事がある。それから既に25年、その時はレンタサイクルで京都を回ったのだが、実際どこへ行ったのか記憶はない。会話の中ではその思い出だけで「良かった、良かった」と言うのであるが、できればもう3日ほどここにとどまって歩き回りたいものだ。
歌では恋に破れてやってくる事になっているが、東山とは異なった静かな空気が流れ落ち着いたたたずまいだ。
最終日、京都は何度か来ているものの大原には夫婦二人とも行った事がない。最終日市内から比叡山を右手に見て大原に上がり、そこから市内に戻らずに北へ回って琵琶湖を渡って帰る予定だ。歌に唄われる「京都 大原 三千院」オーソドックスなおきまりの紅葉場所だが、客殿から寝殿を見た紅葉。これ良くパンフレットにある情景写真。
こちらは「わらべ地蔵」苔と同化していて見落としてしまいそうだが私の確認できたのは5体。全部でいくつあるのか調べてはないが、何ともだだをこねているかに見える寝そべった地蔵は愛嬌を振りまく。山道を登って境内最奥部の観音堂まで一回り、十分堪能して2時間は要する。歌では恋に破れてやってくる事になっているが、東山とは異なった静かな空気が流れ落ち着いたたたずまいだ。
2010年11月24日水曜日
青蓮院
言わずと知れたライトアップの人気スポット「青蓮院」。
昨夜訪れたが、開院前の午後6時前には既に長蛇の列で院前の道路まで行列が出来ている状態。それを見て知恩院へ回ったのだが、その反省に立って今日は入り口前3番手に並んだ。
真にお恥ずかしい、昨夜の知恩院とは異なりこちらは三脚禁止と思いこみ持参しなかったので、ISO12800に拡張しての手持ち。良くはありませんが雰囲気を分かっていただけるだけでもよろしいかと。昨日の知恩院の様なつもりで入っていくと大きな間違い、まず寝殿(寝ではないが)へ入って回廊から眺める庭のライトアップが上のような状況。正に単なる紅葉のライトアップではなくて一種のイルミネーションショーである。
ぐるっと社内を回った後は靴を履き裏庭になる相阿弥の庭を歩く。庭の山に当たる部分は竹林となっておりご覧の通り。目に見えない風の動きや音を現すにはうってつけの竹林だが、何でもない竹林をライトアップするだけで何とも神秘的な場所となる。ただ、その奥に潜む闇は帰って恐ろしさを醸し出すのだが。
ここで京都2日目の旅は終了。強も十分歩いた。忘れてはいけないのが平安神宮。この青蓮院に併せて17時頃行ったのだが、既に閉門。夕暮れの空に朱色だけが際だっていた。
昨夜訪れたが、開院前の午後6時前には既に長蛇の列で院前の道路まで行列が出来ている状態。それを見て知恩院へ回ったのだが、その反省に立って今日は入り口前3番手に並んだ。
真にお恥ずかしい、昨夜の知恩院とは異なりこちらは三脚禁止と思いこみ持参しなかったので、ISO12800に拡張しての手持ち。良くはありませんが雰囲気を分かっていただけるだけでもよろしいかと。昨日の知恩院の様なつもりで入っていくと大きな間違い、まず寝殿(寝ではないが)へ入って回廊から眺める庭のライトアップが上のような状況。正に単なる紅葉のライトアップではなくて一種のイルミネーションショーである。
ぐるっと社内を回った後は靴を履き裏庭になる相阿弥の庭を歩く。庭の山に当たる部分は竹林となっておりご覧の通り。目に見えない風の動きや音を現すにはうってつけの竹林だが、何でもない竹林をライトアップするだけで何とも神秘的な場所となる。ただ、その奥に潜む闇は帰って恐ろしさを醸し出すのだが。
ここで京都2日目の旅は終了。強も十分歩いた。忘れてはいけないのが平安神宮。この青蓮院に併せて17時頃行ったのだが、既に閉門。夕暮れの空に朱色だけが際だっていた。
高台寺・圓徳院
いずれも秀吉の妻「ネネ」に関わる場所。数日前のBs-iで偶然見た場所。
「時雨亭」秀吉の死後晩年のネネはここでその多くの時を過ごしたと言われる。その多くは秀吉との在りしの思いでに慕った時で大阪城落城もここから赤く染まる空を眺めたそうだ。質素な小屋のつくり。歴史的に諸説有るが千利休がその造りに関わった言われている。いずれの話もネネの人柄が伺える。豊臣滅亡後もこの高台寺建立には家康も金銭的な補助をしており、おそらくネネの人柄がそうさせたものともう。また、多くの武将に慕われた北の政所だった。
そしてこちらが圓徳院。ネネ没後木下家の菩提寺として建立された。多くの武将が参加しておりこの庭は男庭、角が有り荒々しく作られている。
「時雨亭」秀吉の死後晩年のネネはここでその多くの時を過ごしたと言われる。その多くは秀吉との在りしの思いでに慕った時で大阪城落城もここから赤く染まる空を眺めたそうだ。質素な小屋のつくり。歴史的に諸説有るが千利休がその造りに関わった言われている。いずれの話もネネの人柄が伺える。豊臣滅亡後もこの高台寺建立には家康も金銭的な補助をしており、おそらくネネの人柄がそうさせたものともう。また、多くの武将に慕われた北の政所だった。
そしてこちらが圓徳院。ネネ没後木下家の菩提寺として建立された。多くの武将が参加しておりこの庭は男庭、角が有り荒々しく作られている。
清水寺
京都二日目、まずはバスで東山の南端へ向かい清水から北へ北上する。
オーソドックスな清水の舞台だが、オーソドックスでもおさえざるを得ない情景。多くの観光客が平日でも訪れており、舞台は満員御礼。確か中学の修学旅行では随分山道を歩かされて水を飲んだ憶えがある。今となるとあの情景が舞台下の道のさらにしたにある小歩道を歩いて上ってきた様に思えるが、本日は工事中。おそらく散策できる歩道を拡幅しているのだと思うが、歴史に力を加えて現代物が入るのは良いのか悪いのか?
清水から高台寺へ向かう道中で、京のつきものと思えばこちら全くのコスプレの1枚。そう言えば昨日から浴衣姿の男女が結構いるが皆この手のものか?本物の舞妓さんは昨夜の知恩院でたった一人見ただけだ。
2010年11月23日火曜日
知恩院
さて、お待ちかねの京の紅葉のライトアップ。青蓮院へと思いきや既に開演前に長蛇の列、通り過ぎて知恩院へ。青蓮院は明日とする。
山門裏側、本日はコンサートが開催され賑やかな状況。この山門閉鎖されていて正面から登る事は出来ないが前面道路へ出られないだけで行き来は出来る。
「友禅苑」、友禅染の始祖宮崎友禅生誕300年を記念して、昭和29年に改修造園された庭園。東山の湧き水を引き入れた庭園と枯山水の庭園とで構成された昭和の名園。比較的歴史の浅い庭園、池の中に立つ像がどう見ても近代文化を物語っている。
京都初日のライトアップ、満足です。。。
山門裏側、本日はコンサートが開催され賑やかな状況。この山門閉鎖されていて正面から登る事は出来ないが前面道路へ出られないだけで行き来は出来る。
「友禅苑」、友禅染の始祖宮崎友禅生誕300年を記念して、昭和29年に改修造園された庭園。東山の湧き水を引き入れた庭園と枯山水の庭園とで構成された昭和の名園。比較的歴史の浅い庭園、池の中に立つ像がどう見ても近代文化を物語っている。
京都初日のライトアップ、満足です。。。
南禅寺
東山でも屈指の南禅寺。だが紅葉ではあまり…照会される事が無い。とは言えこの時期の京都はどこももみじの紅葉が最盛期。
南禅寺は臨済宗、今日だけでいくつの宗派を回ったか?臨済宗・黄檗宗には15の本山があり、南禅寺はそのうちの一つで、南禅寺派の総本山だそうだ。
本坊を挟んで彼女が撮る前にこちらが撮る、歴史を物語る磨かれた床板に坊の闇から外に広がるハイビジョンの世界が。
疎水、哲学の道同様琵琶湖疎水の水路橋、ドラマのロケにも登場する。その昔殖産興業、富国強兵の時代に水力発電に利用されたらしいが、今は飲用水の水路として現役。上から覗くと満々とたたえる水が静かに流れていた。
南禅寺は臨済宗、今日だけでいくつの宗派を回ったか?臨済宗・黄檗宗には15の本山があり、南禅寺はそのうちの一つで、南禅寺派の総本山だそうだ。
本坊を挟んで彼女が撮る前にこちらが撮る、歴史を物語る磨かれた床板に坊の闇から外に広がるハイビジョンの世界が。
疎水、哲学の道同様琵琶湖疎水の水路橋、ドラマのロケにも登場する。その昔殖産興業、富国強兵の時代に水力発電に利用されたらしいが、今は飲用水の水路として現役。上から覗くと満々とたたえる水が静かに流れていた。
法然院
さて銀閣寺を出て普通であれば哲学の道へ下るのであろうが、すぐを左へ折れると法然院がある。
入り口付近はどれくらい登らされるのかと思う程の坂で始まるが、有る意味この寺の建立の意図にそのまま乗ったような、見える角を曲がれば即伽藍に出会える。
法然と言えば誰でも知る浄土宗の元祖法然房源空上人。この寺は後鳥羽上皇の熊野臨幸の留守中に、院の女房松虫・鈴虫が安楽・住蓮を慕って出家し上皇の逆鱗に触れ、法然上人は讃岐国へ流罪、安楽・住蓮は死罪となった。後の江戸時代初期になって知恩院第三十八世萬無和尚は、法然上人ゆかりの地に念佛道場を建立することを発願し、現在の伽藍の基礎が築かれた。
と言う意味らしいが、折しもこの紅葉の時期砂壇にはもみじの絵が描かれていた。
入り口付近はどれくらい登らされるのかと思う程の坂で始まるが、有る意味この寺の建立の意図にそのまま乗ったような、見える角を曲がれば即伽藍に出会える。
法然と言えば誰でも知る浄土宗の元祖法然房源空上人。この寺は後鳥羽上皇の熊野臨幸の留守中に、院の女房松虫・鈴虫が安楽・住蓮を慕って出家し上皇の逆鱗に触れ、法然上人は讃岐国へ流罪、安楽・住蓮は死罪となった。後の江戸時代初期になって知恩院第三十八世萬無和尚は、法然上人ゆかりの地に念佛道場を建立することを発願し、現在の伽藍の基礎が築かれた。
白砂壇(びゃくさだん)
「水を表わす砂壇の間を通ることは、心身を清めて浄域に入ることを意味している。 」と言う意味らしいが、折しもこの紅葉の時期砂壇にはもみじの絵が描かれていた。
慈照寺 銀閣
ホテルへ車をおいて市バスで移動、考えられないほどの人たちがバスを利用する。地下鉄に比べると時間が読めないのは事実であるが、それでも観光案内を片手にまわるには十分な足。
どうだろうほぼ30年ちょっとぶりの銀閣は。
個人的には好きな寺。。。
意外に知られない歴史の中で、銀閣寺は裏山の崩落により江戸時代に移転、修復、改装が行われている。銀閣の代表この「観音堂」。実は元々1階と2階をつなぐ階段はなくそれぞれの階層が独立した造りであった。2階へは独立した回廊から階段を上って入る、それが証拠に2階の南北方向には窓ではなく扉が備わっている。元々東求堂(トウグウドウ)から立体的な専用の建築で結ばれていた。勿論、建物の配置、庭園の形位置も全て江戸時代の復元で変えられている。
残念ながら、銀閣寺を創建した室町幕府8代将軍の足利義政は完成を見る前に他界しているが、完成当初は、祖父である足利義満が建てた北山山荘(金閣寺)が現在も金色であるのに対し、月夜に銀色に輝く様、塗装を施されていた。東山文化の代表東山山荘。
…私の記憶が正しければ…
銀閣正面錦鏡池越しに見える山、これが崩落した斜面。
拝観を終えて銀閣寺前の抹茶シューを妻と。教典を唱えるこの方が、仏の道は世界共通のようだ。
どうだろうほぼ30年ちょっとぶりの銀閣は。
個人的には好きな寺。。。
意外に知られない歴史の中で、銀閣寺は裏山の崩落により江戸時代に移転、修復、改装が行われている。銀閣の代表この「観音堂」。実は元々1階と2階をつなぐ階段はなくそれぞれの階層が独立した造りであった。2階へは独立した回廊から階段を上って入る、それが証拠に2階の南北方向には窓ではなく扉が備わっている。元々東求堂(トウグウドウ)から立体的な専用の建築で結ばれていた。勿論、建物の配置、庭園の形位置も全て江戸時代の復元で変えられている。
残念ながら、銀閣寺を創建した室町幕府8代将軍の足利義政は完成を見る前に他界しているが、完成当初は、祖父である足利義満が建てた北山山荘(金閣寺)が現在も金色であるのに対し、月夜に銀色に輝く様、塗装を施されていた。東山文化の代表東山山荘。
…私の記憶が正しければ…
銀閣正面錦鏡池越しに見える山、これが崩落した斜面。
拝観を終えて銀閣寺前の抹茶シューを妻と。教典を唱えるこの方が、仏の道は世界共通のようだ。
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