間違っていたらごめんなさい。飯田測候所で観測が始まったのが1897年だと思った。今からだと117年前。その観測が始まって依頼の最高値、82cmが今回の積雪量らしい。
14日の午前から降り出した雪は、今日15日の昼頃まで降り続いた。雪の積もる速度が異常に速く、雪かきが追いつかない状況で、家の周りもどうしようも無い状況だった。
昨日14日は、夕方雪かきを行い、降り続く雪にあきらめて、今朝に持ち越した。
画像は今朝6:30頃の画像。当然ながら観測史上最高と言うことは、現在生きている人は皆初めての大雪の経験だ。雪かきも壊れるほどの大雪に、少し間を開けて新しいものを用意しておかなくては。
2014年2月15日土曜日
2014年2月11日火曜日
ガリタ食堂
昨日から、中央道は開くだろうと楽観的に考えていたが、一晩経っても通行止めだった。
諏訪IC手前は、渋滞。③の東名周りを、帰りは中央道が開いている事を期待して選択選択した。
飯田発8:00、東京本郷着14:00。。
画像は、足柄SA「ガリタ食堂」Xperia A
5年ぶりほどに足柄SAで夕食をとる。ごらんのガリタ食堂。んー、確かめちゃイケでやっていた気がするが、これを目的に入った訳では無いので意外に感激。
もう、30年近く前になるが、平塚に住んでいた頃はこの近くに友達がいて、何度か訪ねた事があるなと思いつつ、帰りを急ぐ我々は写真撮影だけ。この時点で20:30。
新東名を走り、東海環状へ、鞍ヶ池付近で23:00。このとき、中央道開通のメールが届いた。帰着0:15、長い一日が終わった。16時間中、東京で4時間、残りの12時間はすべて食事以外車の中だった。
2014年2月9日日曜日
13年ぶりの大雪
天気予報通り、降り出した雪は終日降り続いた。画像は2014年2月8日、我が家での14:30での積雪量。28cmをさしているが、最終的に飯田の観測では33cmだったらしい。
13年前2001年の大雪の時も、それは異常を感じる振り方だったが、その時は降雪後も不順な天気が続きなかなか融けない状況だった。当時、我が家では軽トラを所有しており、数日間その車で快適に走った記憶がある。今回もまたそれを思い出させる積雪だったが、2001年は50cm今回とは20cmの差がある。誰もが感じるように、子供の頃もっと雪が降った気がするのだが、だんだんと降雪量は減り、昨今では雪が降ることに期待するところがある。
だが、昨日は日中、降雪時も気温は10℃を指しており、比較的暖かい日だった。夕刻からは0℃ではあったものの、本日の早朝も0℃でさほどの冷え込みは無かった。今現在、道路の積雪はほとんどが融けて、あの積雪は姿を消してしまった。
それにしても、数回にわたる雪かきのせいで、昨夜から肩が痛くてたまらない。
13年前2001年の大雪の時も、それは異常を感じる振り方だったが、その時は降雪後も不順な天気が続きなかなか融けない状況だった。当時、我が家では軽トラを所有しており、数日間その車で快適に走った記憶がある。今回もまたそれを思い出させる積雪だったが、2001年は50cm今回とは20cmの差がある。誰もが感じるように、子供の頃もっと雪が降った気がするのだが、だんだんと降雪量は減り、昨今では雪が降ることに期待するところがある。
だが、昨日は日中、降雪時も気温は10℃を指しており、比較的暖かい日だった。夕刻からは0℃ではあったものの、本日の早朝も0℃でさほどの冷え込みは無かった。今現在、道路の積雪はほとんどが融けて、あの積雪は姿を消してしまった。
それにしても、数回にわたる雪かきのせいで、昨夜から肩が痛くてたまらない。
2014年1月12日日曜日
2014 木曽駒ヶ岳 光前寺
駒ヶ根大沼湖からの木曽駒ヶ岳千畳敷カール。
毎度の画像ですが、昨日は快晴の中雲がかぶり千畳敷から宝剣山頂までが拝めなかったが、今日は雲一つ無く山頂までがくっきりと見えていた。
大沼の湖面はまだまだ全面結氷とは行っていないモノの、九割方が氷で覆われ狭くなった水面に水取りがある待っていた。
こちらは光前寺、本日は多くの祈願者と観光客が訪れ賑わっていた。
駒ヶ根は元来寒いイメージだが、特に竜西の中央アルプスから吹き下ろす風は冷たく、日当たりの少ない光前寺は底冷えする。
額から鼻の頭に雪氷を乗せた早太郎がそれでも姿勢正しく鎮座していた。
毎度の画像ですが、昨日は快晴の中雲がかぶり千畳敷から宝剣山頂までが拝めなかったが、今日は雲一つ無く山頂までがくっきりと見えていた。
大沼の湖面はまだまだ全面結氷とは行っていないモノの、九割方が氷で覆われ狭くなった水面に水取りがある待っていた。
こちらは光前寺、本日は多くの祈願者と観光客が訪れ賑わっていた。
駒ヶ根は元来寒いイメージだが、特に竜西の中央アルプスから吹き下ろす風は冷たく、日当たりの少ない光前寺は底冷えする。
額から鼻の頭に雪氷を乗せた早太郎がそれでも姿勢正しく鎮座していた。
2013年12月29日日曜日
2013 年の瀬の諏訪湖・諏訪大社
今年は勤務の都合で正月では無く、年末に休みをもらった娘が帰省した。当然年内の内に東京へ戻ることになる。そこで今年は年始の詣出では無く、年末の詣出でに出かけた。
これは、帰り際に諏訪湖SAから見た諏訪湖と八ヶ岳北側の様子。日の当たり方が丁度起きたの山だけに当たっており積雪が輝いていた。
こちらは工事中の諏訪大社。最近よく見られる写真で出来た工事用の囲いシート。当然1年を超す大工事なのだろうが、正月の初詣はやはり神社本体を見たいものだが、肉眼で見れば当然わかるものも写真や、ぱっと見の感じではいつもの社がそこに構えている様に見える。
これは、帰り際に諏訪湖SAから見た諏訪湖と八ヶ岳北側の様子。日の当たり方が丁度起きたの山だけに当たっており積雪が輝いていた。
こちらは工事中の諏訪大社。最近よく見られる写真で出来た工事用の囲いシート。当然1年を超す大工事なのだろうが、正月の初詣はやはり神社本体を見たいものだが、肉眼で見れば当然わかるものも写真や、ぱっと見の感じではいつもの社がそこに構えている様に見える。
2013年12月23日月曜日
南アルプス 北部 2013
この年末になって、尿道結石で病んでおりました。究極痛さに襲われ、今まで一の痛みと闘っておりました。その結果、石が出たのかどうかは不明ですが?少なくとも尿道から膀胱へは至ったと思っています。どこで出ても良いように割り箸とフイルムケースを持ち歩いていますが、その姿を拝むことはできずにいます。
さて、南アルプス北部、鋸山から千丈ケ岳への稜線。間に形の良い甲斐駒ヶ岳を挟んでおります。今年はうかつにも初雪を見逃しての冬を迎えてしまいましたが、天気さえ良ければ日本の大動脈、シワはゆっくりとした時間の流れの中で健在です。
さて、こちらは仙丈ヶ岳南部の状況。間ノ岳、中白根山、農鳥岳の様子。こちらも健在。超3,000の稜線が2.5km続く日本一の稜線は里から見れば簡単に歩けそうですが、この雪の状況では縦走も大変な状況でしょう。県鳥のライチョウもここでは見られるハズですが、あまりに北アルプスの富山県が有名すぎるのと、長野県の大学で有りながら信大も北ばかりを調査して南を調査しないので、その実態がはっきりしないまま生息が確認されなくなるのでは無いでしょうか?いずれにしても、やはり伊那谷に住む者には南アルプスがアルプスでしょう。
2013年12月8日日曜日
2013年12月1日日曜日
虎渓山 永保寺 2 2013
さて、幾分サボり気味の写真活動。先週に引き続いて永保寺の紅葉状況。かなり張り巡らして枝を剪定したせいか、天を仰いで紅葉一色という状況では無かった。フルサイズフィッシュアイも用意をして行ったのだが、その登場する場面は無かった。
前回訪れたときもこの紅葉がお気に入りだった、今回も期待を裏切らずに良い色を出していた。
国宝観音寺。水自体はあまりきれいな水では無く、比較的浅い池ではあるが、日向きによってはそれなりに映し出す状況だ。観光バスでの団体さんが大勢いたが、やはり信仰の場。住職と思われる方が説教を行っていた。
前回訪れたときもこの紅葉がお気に入りだった、今回も期待を裏切らずに良い色を出していた。
国宝観音寺。水自体はあまりきれいな水では無く、比較的浅い池ではあるが、日向きによってはそれなりに映し出す状況だ。観光バスでの団体さんが大勢いたが、やはり信仰の場。住職と思われる方が説教を行っていた。
2013年11月23日土曜日
虎渓山 永保寺 2013
2年ぶりに虎渓山へ。大銀杏はまだ黄色の色づきが薄かったが、紅葉は少し遅い気がした。すでに黒ずんでいたことと、若干剪定が入ったのか?枝振りが2年前に比べるとかなり小さくなった気がする。いずれにしても少々ガックシ。
こちらは我が家の庭の晩秋。苔むした庭石の上に枝垂れ紅葉の葉が際立っていた。桜とハナミズキ、それにこの紅葉の落葉が終わるとすっかりと冬の様相だ。
こちらは我が家の庭の晩秋。苔むした庭石の上に枝垂れ紅葉の葉が際立っていた。桜とハナミズキ、それにこの紅葉の落葉が終わるとすっかりと冬の様相だ。
2013年11月17日日曜日
駒ヶ根高原 黄葉 2013
今年は紅葉を撮り損ねていたが、今週は天気もまずまず、南へ行くか北へ行くか?北の紅葉の終わりをおさめてきた。
駒ヶ根高原すずらんハウスから烏帽子山方向の黄葉。黄色一色でカラ松と思われる。はっきりとしない天気ではあったが、運良く青空に恵まれた。
こちらは南アルプス方向。北岳から仙丈ヶ岳、間ノ岳、西農鳥、農鳥岳と南アルプスの主峰が雪をかぶってくっきりとしていた。
今年は初冠雪を見過ごしてしまい、先週白くなったアルプスに気がついたのだが、また今年もこの季節がやってきた。
駒ヶ根高原すずらんハウスから烏帽子山方向の黄葉。黄色一色でカラ松と思われる。はっきりとしない天気ではあったが、運良く青空に恵まれた。
こちらは南アルプス方向。北岳から仙丈ヶ岳、間ノ岳、西農鳥、農鳥岳と南アルプスの主峰が雪をかぶってくっきりとしていた。
今年は初冠雪を見過ごしてしまい、先週白くなったアルプスに気がついたのだが、また今年もこの季節がやってきた。
2013年10月25日金曜日
志賀高原 紅葉
こちらは志賀の丸池。エメラルドグリーンの水と、赤を織り交ぜた黄葉が美しい。台風27号に刺激された秋雨前線が、小雨を降らす天気の中しっとりとした色合いがきれいに強調されていた。
ここに至るに、白根山を超えて降りてきたが、道中標高の高いところでは黄色を中心とした黄葉だったが、ここまで降りてくると赤が入って紅葉らしくなる。
こちらは琵琶池。オーソドックスな南側からでは無く、北側からの画像。荒れ模様の天気の中風は強めで水面を荒らしていたが、水辺の紅葉はきれいにしっとりとしている。以前白根山越えは雪のために引き返したが、今回は横から吹き付ける雨の中を超えてちょうど良い紅葉に出会えた。
ここに至るに、白根山を超えて降りてきたが、道中標高の高いところでは黄色を中心とした黄葉だったが、ここまで降りてくると赤が入って紅葉らしくなる。
こちらは琵琶池。オーソドックスな南側からでは無く、北側からの画像。荒れ模様の天気の中風は強めで水面を荒らしていたが、水辺の紅葉はきれいにしっとりとしている。以前白根山越えは雪のために引き返したが、今回は横から吹き付ける雨の中を超えてちょうど良い紅葉に出会えた。
2013年10月19日土曜日
黒四ダム 2
先週に引き続き黒部の話。(撮影は10月13日)どうやら私の子供の頃と違って、最近は黒四とは言わないようだ、そのまま「黒部ダム」関電のHPでもそう表示されている。とすると黒三とかはどうなってしまったのか?こちらは黒部湖遊覧船「ガルベ」から見た山。名前は失念、遊覧船の中では牛が寝た姿に似て牛寝山といった気がするが、地図上では確認できない。あるいは地図に載っている獅子岳かもしれない。いずれにしても詳しく調べたことは無いが、この色合いからすると火山系の鉄分が酸化した色合いに見える。日本アルプスの中でも北アルプスだけは隆起と火山活動が起こっているので可能性は高いと思う。
さて、こちらが「御前谷」。いわれを調べては無いが、当然剣御前からのいわれと思っている。黒部の太陽のなかでは、熊谷組が掘削を進めるトンネルの反対側から迎え堀をした佐藤工業の集結した場所だ。おそらくダム直下の谷に集まり、現在の位置まで昇って掘削したに違いない。
黒部湖の黄葉とガルベ。HPで紹介されているとおり操舵されていたのは女性の方だった。時速25KMで15分ほどで旋回したので、この日のおおよその位置は6kmほど上流まで上って下ってきた感じだ。たまたまではあるが、観光放水も黄葉も初雪も揃った黒部に今回は感謝。
次回は、ケーブルカー、ロープウェイ、バスを乗り継いで室堂までライチョウに会いに行くのが楽しみだ。
さて、こちらが「御前谷」。いわれを調べては無いが、当然剣御前からのいわれと思っている。黒部の太陽のなかでは、熊谷組が掘削を進めるトンネルの反対側から迎え堀をした佐藤工業の集結した場所だ。おそらくダム直下の谷に集まり、現在の位置まで昇って掘削したに違いない。
黒部湖の黄葉とガルベ。HPで紹介されているとおり操舵されていたのは女性の方だった。時速25KMで15分ほどで旋回したので、この日のおおよその位置は6kmほど上流まで上って下ってきた感じだ。たまたまではあるが、観光放水も黄葉も初雪も揃った黒部に今回は感謝。
次回は、ケーブルカー、ロープウェイ、バスを乗り継いで室堂までライチョウに会いに行くのが楽しみだ。
2013年10月13日日曜日
黒四ダム ~立山の黄葉
かねてから行ってみたかった、立山。本来はバスとケーブルカー、ロープウェイを経由して室堂へ行ってみたいのだが、黒四ダムだけでも見なければならないものがたくさんあることに気づき、まずは入り口で黒四だけに絞って出かけて見た。
折しも快晴が予想通り的中し青空が広がる天気だったが、冷え込みが厳しく立山一帯は初雪?北アルプスの剣へ続く稜線近くは白く化粧をした状況だった。…儲け。
忘れてはいけない「黒部の太陽」。我々の年代では、白黒時代の石原裕次郎、三船敏郎の画像が思い浮かぶ。とはいえダム建設本体の話では無く、資材運搬用の道路建設に伴う話だ。もちろん記憶にある私でも、建設は生まれる前。竣工が私の生まれた年。正に50周年を迎えた黒四だ。(つづく)
折しも快晴が予想通り的中し青空が広がる天気だったが、冷え込みが厳しく立山一帯は初雪?北アルプスの剣へ続く稜線近くは白く化粧をした状況だった。…儲け。
放水は今月15日までで終了。連休と快晴が相まって多くの観光客がそろい。北アルプスの隔離されたこの谷にギュウギュウ詰めのトローリーで運ばれた者たちがひしめき合うように思い思いの楽しみを満喫していた。紅葉は多分ピークではないのか?もうすぐ訪れる早めの冬を前に、黄色を主とする黄葉が青空と、白くまとった山をバックに生えていた。忘れてはいけない「黒部の太陽」。我々の年代では、白黒時代の石原裕次郎、三船敏郎の画像が思い浮かぶ。とはいえダム建設本体の話では無く、資材運搬用の道路建設に伴う話だ。もちろん記憶にある私でも、建設は生まれる前。竣工が私の生まれた年。正に50周年を迎えた黒四だ。(つづく)
2013年10月6日日曜日
国営アルプス安曇野公園
国営アルプス安曇野公園へ出かけた。目的はこのコキアの絵を撮りたくてだ。白駒の池が紅葉を迎え今週がベストと思いながらも、まだ見ていないコキアを撮ろうと、今年は白駒をあきらめた。
夏に戻ったような暑さの中、公園のコキアはコスモスと相まってその色合いをきれいに誇示していた。
こちらは黄色一色のコスモスの歩道。この色だけで囲まれるのも結構行ける。ひまわりでは無いので、夏の暑さは感じないが、それでも秋晴れの青空とマッチして確実に近づいてくる寒い季節を予感している。
夏に戻ったような暑さの中、公園のコキアはコスモスと相まってその色合いをきれいに誇示していた。
こちらは黄色一色のコスモスの歩道。この色だけで囲まれるのも結構行ける。ひまわりでは無いので、夏の暑さは感じないが、それでも秋晴れの青空とマッチして確実に近づいてくる寒い季節を予感している。
2013年9月29日日曜日
彼岸花 ~ 嶺岳寺
妻が新聞で嶺岳寺の彼岸花の記事を見つけ、早速出かけてみた。
まだ、朝日が暖かい早朝であったが、多くの人が訪れ、他県ナンバーも数台駐まっている状況だった。この時期、道を走れば赤く見えるのはほとんど彼岸花だが、この寺の情景は規模が違う。
山寺特有の急峻な地形にお墓が並ぶ状況だが、気後れしながら他人の墓地を通るのが順路らしい。最も私の入る予定の墓地もそんな状況だが。そこかしこにおかれた石像が、見方によっては大原三千院を思い出させる、にんまりする顔つき。
地元にいながらノーマークだったこのお寺に、久しぶりにマクロレンズを取り出した。
まだ、朝日が暖かい早朝であったが、多くの人が訪れ、他県ナンバーも数台駐まっている状況だった。この時期、道を走れば赤く見えるのはほとんど彼岸花だが、この寺の情景は規模が違う。
山寺特有の急峻な地形にお墓が並ぶ状況だが、気後れしながら他人の墓地を通るのが順路らしい。最も私の入る予定の墓地もそんな状況だが。そこかしこにおかれた石像が、見方によっては大原三千院を思い出させる、にんまりする顔つき。
地元にいながらノーマークだったこのお寺に、久しぶりにマクロレンズを取り出した。
2013年9月22日日曜日
日本大正村
秋の連休、紅葉の話はまだ聞くことができずに、花の季節も一段落。この時期を狙って行けずにいる場所を訪ねることが得策と、かねてから様子を見たかった明智町の大正村を訪ねてみた。
以前に一回、大船山へ登ったついでに恵那に抜ける途中、明智鉄道の明智駅を覗いたことがあるが、まじまじとその町を歩いたのは初めて。
日本が高度成長期を迎えて以後、バブルの崩壊がまでが一つの節目で、その後古い文化はだんだんと消えて行ってしまったことをつくづく感じた次第だ。
このような、玄関を入って裏まで抜ける土間などは我々が子供の頃はまだ何軒も見られた。事実私の家もこのような造りでなじみがある。残念なことに、旧三宅家へ訪ねたときのおばさんは、このような家のわかるのは昭和20年生まれまでの人だと自信ありげに話していたが、実は日本の成長は地域によって異なり、私のように田舎の山奥で育った者は昭和20年どころか、40年生まれでもこのような家を経験上知っている。
その時代を残すことは、住民の努力の上に成り立ち大変なことだが、反面、古い時代から新しいものへと変化を遂げるのが歴史でもあり文化である。否定をするわけではなく賛同はするものの、新しいもの、変化するものを否定することとは違うのだが。わかってもらえるか?
以前に一回、大船山へ登ったついでに恵那に抜ける途中、明智鉄道の明智駅を覗いたことがあるが、まじまじとその町を歩いたのは初めて。
日本が高度成長期を迎えて以後、バブルの崩壊がまでが一つの節目で、その後古い文化はだんだんと消えて行ってしまったことをつくづく感じた次第だ。
このような、玄関を入って裏まで抜ける土間などは我々が子供の頃はまだ何軒も見られた。事実私の家もこのような造りでなじみがある。残念なことに、旧三宅家へ訪ねたときのおばさんは、このような家のわかるのは昭和20年生まれまでの人だと自信ありげに話していたが、実は日本の成長は地域によって異なり、私のように田舎の山奥で育った者は昭和20年どころか、40年生まれでもこのような家を経験上知っている。
その時代を残すことは、住民の努力の上に成り立ち大変なことだが、反面、古い時代から新しいものへと変化を遂げるのが歴史でもあり文化である。否定をするわけではなく賛同はするものの、新しいもの、変化するものを否定することとは違うのだが。わかってもらえるか?
2013年9月15日日曜日
鉱物博物館 ~ 中津川市
長いこと更新をしませんでした。
夏場は興味を引くものの端境期であることと、この一月休日のほとんどを家のことに費やしておりました。おかげでずいぶんとたまっていたものが片付き、すっきりした住環境が整いました。
とはいえ、まだまだやることはあるのですが。
この連休、台風18号の影響で、明日はおそらく動くことができず終わると読み、本日はつい先日知り得た中津川の鉱物博物館に出かけてみた。
中津川が、というよりは岐阜が比較的(自然界の)放射性物質が多いことは知ってはいたのだが、たまたまの自然現象とはいえ、人間自然の中で生きるにはそれ相応の適応性があるものだと改めて感じたものでした。
富岡製糸場と一緒に訪れた、群馬県立自然史博物館とまではいえないものの、勉強をするには十分な施設と思われます。群馬の時のも感じましたが、3.11以後、放射能とか放射性物質というとムキになって怖がったり、敵視する傾向を感じますが、我々が住む自然界には十分地中と宇宙から放射される物質が行き交い、その中で位していることを学んだ上で無いと恐怖心をあおるだけと感じております。…人工物は除いて。
代表格「霧箱」などは、日常生活において現実に我々の体を突き抜けている放射物質を目で見るのには優れもので、その場所だけででの出来事のように勘違いしている方がおりますが、それが自然界と認識した方が良いと、改めて感じた次第です。
2013年8月4日日曜日
向原蓮池 2013
阿南町新野のキビ(トウモロコシ)がそろそろと思い、千石平の道の駅へ出かけた。
昨年はお盆を狙ったので、球数も少なく「あんみつ姫」だったが、今年は「甘太郎」狙いで早めに言ってみた。9時の時間を狙ったのだが、あるわあるわ。大量の甘太郎とあんみつ姫。今年の出荷は早めの傾向で、お盆には無くなってしまうのではないかと蔵の方は言っておられたが、それでもお盆にはもう一度食べたいもんだ。生で食べても甘い。
その足で売木村の蓮まで様子を見に。
例年、キビとのセットでお盆が多いのだが、少し早めのこの時期の方が蓮も調子が良さそうだ。今年は白が多く感じたが、時期が早いせいで有るかもしれない。何とも花弁の筋が美しく夏の日射しに映える蓮は清楚に感じる。
2013年7月15日月曜日
富岡製糸場
かねてから行きたかった富岡製糸場。この3連休を使って行ってみた。3連休と行っても基本日帰りコースの我々、通常のナビ任せなら当然、岡谷ICから佐久へ抜ける道を出すのだが、それを無視して茅野から麦草峠を越えて佐久へ降りる道を選んで、道中からの富士の姿を期待した。麦草峠を下り「ふるさと」からの眺望を望んだが、あいにくの曇りに富士の姿は見られなかった。佐久から富岡までのルートも一般道の峠越えを考えていたが、すでにその体力は無く、佐久南ICから高速を使っての道中となった。
どうだろうか?規模は大きい。通常テレビなどで見る富岡製糸場はオレンジが濃く美しく見えるのだが、現物はもう少し白くなって色があせインパクトのあるオレンジ色では無くなっている。
時間を待ってガイドさんについて回ったが、世界遺産登録を意識してか?この施設が相当偉大なように解説を行ってくれたが、政井ミネのああ野麦峠、岡谷の製糸館、片倉一族を知る我々にとって、それは無理な話でしょうという節がいくつかあった。
さて、その規模を誇るこの施設。画像は寮。近代的に整備された工場で女工が過ごした場だが、ああ野麦峠から想像する生活とは打って変わって優遇されていたようだ。(説明では)いずれにしても切妻の屋根に、西洋風の建物は子供の頃育った村でもどこかにあったそれを思い出させてくれる雰囲気がある。どのような計画なのか全く知らないが、世界遺産に耐えられる施設を維持するにはまだまだ手をかけないと厳しいものがある気がした。
どうだろうか?規模は大きい。通常テレビなどで見る富岡製糸場はオレンジが濃く美しく見えるのだが、現物はもう少し白くなって色があせインパクトのあるオレンジ色では無くなっている。
時間を待ってガイドさんについて回ったが、世界遺産登録を意識してか?この施設が相当偉大なように解説を行ってくれたが、政井ミネのああ野麦峠、岡谷の製糸館、片倉一族を知る我々にとって、それは無理な話でしょうという節がいくつかあった。
さて、その規模を誇るこの施設。画像は寮。近代的に整備された工場で女工が過ごした場だが、ああ野麦峠から想像する生活とは打って変わって優遇されていたようだ。(説明では)いずれにしても切妻の屋根に、西洋風の建物は子供の頃育った村でもどこかにあったそれを思い出させてくれる雰囲気がある。どのような計画なのか全く知らないが、世界遺産に耐えられる施設を維持するにはまだまだ手をかけないと厳しいものがある気がした。
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