2010年9月18日土曜日

下栗 の里

秋の紅葉シーズンを控え、あちこちと名所を調べているが、いずれにせよ自然の変化は時間とともに起こる自然現象でこちらの都合で待ってくれるものではない。こちらをねらえばこちらも同時進行ですべてを納めることはとうていサラリーマンには不可能な出来事だ。そんな中 日本のチロルと言われる 下栗地区へ出かけてみた。先週の赤石林道と信州の未知ランキング http://www.shinshu-dc.net/contents_osusume/ranking_lists.php の再確認だ。日本のチロルと名付けた方は間違いなくいるのだが、私には「日本のマチュピチュ」と表現した方がよほどしっくりいく気がする。この斜面に張り付いた集落はどう転んでもマチュピチュを思わせる。祖母がここ下栗の出身の私には特段世の中で騒ぐほどのところには思えないが、幼少の頃まだ道が無く車で行くことができなかった時代に…おそらく昭和40年代前半…徒歩で祖母の実家へ行った憶えがある。5月の連休にワラビを取りながらの思い出だ。道が開き車で行けるようになってからは、稲刈り後のワラを軽トラいっぱいに積んで届けた記憶がある。もう40年ほど前の遠い記憶だ。


さらに、その奥へ進むと遠山側の源流本谷川へ出られる。これもまたその頃の私の遠い記憶、北又渡のダムがまだ無かった頃、父とよく車でこの奥へ行った。釣りや猟の記憶の場だ。それから10年ほど経って大学生時代にアルバイトでこの地を訪れたときすでにこのダムの中にあの幼少時代の林道は水没していた、そして今日、すでにダムの堆水地はすでに土砂で埋まっており(砂防ダムであるから当然ではあるが)30年ほど前に見た青々とした水につかった林道は見ることもできなかった。

私の幼少時にはすでに林鉄もモーターカーの時代を迎えており、材木を運ぶ以外はモーターカーで人を運んでいた記憶が鮮明だ。水に満ち小鳥たちのさえずりを期待していった私には少々残念な現状であったが、よく考えてみればあの記憶から30年も経ってしまった事を改めて認めざるを得ない。

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