2011年12月23日金曜日

南駒ヶ岳 ~ 空木岳

南アルプス南端に位置する南駒ヶ岳は規模は小さいものの千畳敷カール同様のカール(摺鉢窪)を持ち、その縁にはモレーンと思われる堆積土を蓄えている。規模は小さいものの立派なカール。異様な形の稜線を描く中それなりに山容を整えて鎮座している。空木も姿美しくスマートに存在し青空にきれいなラインを描いて誇示している。

木曽駒ヶ岳 ~ 千畳敷カール

冬到来、宝剣の下に広がる千畳敷は広範囲から見られるが、奥の深い本体は手前の入り組んだ山波に遮られてなかなかすっきりしない。拡大すると山頂に向かう登山者の姿が写っていた。伊那前岳の奥に潜む木曽駒ヶ岳は姿が見られないが、春先まで姿を堅持する宝剣岳。青空が広がり満足のいく1枚。

2011年12月18日日曜日

荒川岳 ~ 赤石岳

紅葉シーズンが終わりこれからの季節伊那谷を囲む2つのアルプスが春先5月の連休過ぎまで勇姿を見せてくれる。それぞれのアルプスを撮るのには、中央は午前、南は午後が鉄則であるが、年末の都合で午前中に南アルプスを見に出かけた。
ここまで寒い季節になりながらまだびっしりと実をつける柿の木。バックでは荒川東、中岳、前岳が本格的な雪景色になった。右側の台形型の山=前茶臼とすり鉢を伏せたような奥茶臼の間に雲をたなびかせているのが赤石岳だ。見事な発射台のような山腹を駆け上がった風が山頂手前から雲を発生しているのがよくわかる。
一方、こちらは塩見から荒川までの間。左からひときわ目立つ塩見岳、本谷山、烏帽子岳、小河内岳、東、中・前荒川までくっきりと稜線を描き出した。果てしなく日本列島の地球のシワ、我々はとかく平面的に見がちだが、奥行きを考えると複雑な造山運動をした歴史が不思議でならない。もっともその不思議が自然なのだが。

2011年12月10日土曜日

光前寺 雪化粧 ~駒ヶ根

昨日の雨と今朝の冷え込みで千畳敷辺りがくっきりと青空に浮かび登山者の足跡が見えるかと思い駒ヶ根へ足を伸ばしてみたのだが、…残念ながら中央・南ともアルプスは稜線を雲に隠して高さを誇ってしまった。飯島を過ぎた辺りからにわかに雪景色に変わり、昨夜南では雨だったのがこちらでは雪だった様子が一目瞭然。とりあえず私的定番の千畳敷のポイントに行ってみたが、稜線はおろか山がどこにあるのかわからない状況。
そこで雪の光前寺へお参り。どうやら軽いとは言え雪が本気で降った様子がうかがえる。参道の竹箒で除雪したあとも柔らかそうで新設を物語っていた。どこかから見えた旅行者の親子がそれはそれは寒そうな格好、姿でお参りをする様子が見ているこちらまで寒くなってしまう。
駒ヶ根育ちの妻はここが格好の遊び場であった様だが、冬は厳しい寒さの駒ヶ根だ。

2011年12月7日水曜日

長者峰 ~本当に見える三河湾

画像は12月4日のものです。
過日掲載した長者峰(高峰山)、気になっているどう考えても太平洋ではないのか?と言う疑問の答えを求めて、
(参照 http://wadanoko.blogspot.com/2011/11/blog-post_23.html )
昨日までの雨が上がり朝から青空が広がる朝香嵐渓への道中で再度長者峰へ登ってみた。今回は俗称バズーカ=400mmを持って。
除いてみてもファインダーでは正直どこがどこかはわからない、とりあえず手当たり次第目印になるものを基準に納めて見た。
解析の結果は以下の画像の通り。
現場で一番の目印になったひときわ目立つ工場と思われる建物をググってみるとなんと中電の「碧南火力発電所」さらに右手には対岸の武豊火力発電所、その奥にはセントレアが収まっている。決め手は碧南発電所の外壁の模様。検索されて波形の模様を確認できれば間違いない事が納得できる。蛇峠山の山頂から太平洋が見えるというブログを見つけてから3年、この海に接しない山国の信州の地から海が見えるというのは本当だと言う事の事実だ。
※見えるというよりは見えていると言うのが正解かな?
(画像をクリック、拡大されて2枚を比較されるとよくわかります。)

2011年12月4日日曜日

香嵐渓 2011

今年の紅葉は…、と言われるが"犬も歩けば棒に当たる"終わりを迎えた香嵐渓の紅葉であるが、一昨年の紅葉を思うと今日辺りはベストと言える状況だった。
気温の降下が緩やかに行われず、上がったり下がったり極端に起こる場合、なかなか紅葉が進まず終わってしまうが、ここへ来て一気に冷え込み迷っていた紅葉が進んだ気がする。周りには既に葉を落とした木々があるものの、8割方は今がベストな状況を作り出していた。
飯森山は多くの紅葉落ち葉に覆われ、木々の紅葉と山肌の紅葉とで特別な世界を創造していた。比較的ブームが去った今日の香嵐渓では、多くの人が来ている割には渋滞はそこそこ程度で、早朝ではなく10時頃に到着した私たちでも香嵐渓交差点の間近の駐車場に簡単に入れる事が出来、始めていった時の事を思えば易々と現地へ赴く事が出来た。
自然の現象とは誠に不思議なもので、それなりにまとめるのが正に自然の流れと言うものなのかもしれない。今前の香嵐渓では無かった感動を感じた。

2011年11月27日日曜日

昇仙峡 ~山梨

かねてから行きたかった昇仙峡。鳳来寺山と迷った昇仙峡に足を伸ばした。自宅から2時間、距離は150km程度なのだが道中意外な方向からのナビの案内で時間を食ってしまった。
この地形は何なんだろう?何とも奇妙な岸壁がそそり立ちこの世のものとは思えない後継を生み出している。
通説通り今年の紅葉はいただけないと私自身も思っているが、実はやはり場所に寄りけり。昇仙峡の紅葉は終わりを迎え最盛期ではなかったが、それでも質の良い紅葉に思える。奇妙な岩の造形と紅葉を組み合わせるにはもう少し早い時期がポイントだったと思うが、来春、まだアルプスに雪が残る季節に今度はロープウェイで山頂に登りじっくりと広角を納めてみたい。

2011年11月26日土曜日

赤石山脈 雪景色

伊那谷の初雪は月曜日=11月21日だった。南アルプスよりも先に中央アルプスが白く染まり、南端の安平山や摺古木山が白く存在を明確にした。間を開けることなく連日の冷え込みで赤石山脈も白く染めその存在感を誇示する季節がやってきた。
春先、確か中央アルプスの方が先に白が無くなった事を思うと、理にかなった順番を繰り返すのだと思われる。里ではまだ紅葉の終わり=晩秋を彩っているが、アルプスの山頂では長い冬が始まっている。北は仙丈ヶ岳から間の岳、農鳥山、塩見、荒川を経て赤石岳がその稜線を明確にした。
さらに南方向から眺めると、正面に伊那山脈越えに赤石、小赤石が前茶臼と奥茶臼の間に姿を見せている。南アルプスがオーソドックスになって久しいが、我々が中学時代までは「赤石山脈」と教わったのだが…、その本家が赤石岳。その麓に暮らすだけにあえて南アルプスは避けて赤石山脈と打ち出した方が良いのではと思う。。。

2011年11月23日水曜日

長者峰(高嶺山) ~平谷村 …太平洋は見える

※画像は昨日22日のものです、撮影はPanaのコンデジFX40で撮影です。
午後若干遅めになってしまったが長者嶺峰まで駆け上がった。ここのところの寒さで空気も澄んできており、朝から青空が広がりいっそうの期待にふくらましての状況。案の定、(とは言え若干早めの方が良かったと後悔はしているが。)晴れ渡って360°の展望がのぞめた。
こちらは東方向、左端の仙丈ヶ岳から北岳、間の岳、農鳥を始め、塩見、荒川、赤石は勿論南端の2,000m級黒法師岳まで一望できる。(右中段は蛇峠山山頂)
さてこちらは南方向、私的意見だがオレンジ色に輝くのは三河湾に思えて仕方がない。以前蛇峠山のHPの中に「黄金に輝く太平洋」が見えると書いてあったが、"そんなわけがあるはず無い"と思っていた私もこの状況では納得してしまう。中段右の光る物体は矢作湖、オレンジ色の部分はよく見るといったん碧南市当たりの矢作川河口で広がり、その上に渥美半島南知多町が見える気がする。その上にさらに伊勢湾。どうやら太平洋が見えるのは条件次第で本当の話のようだ。

2011年11月20日日曜日

虎渓山 永保寺

今年の紅葉は期待できないというのが通説であるが、どうも場所によりけりの状況だ。先週京都へ出かけた方の話を聞くと、北山辺りではあまり綺麗ではなかったという情報。ここら辺周辺では高地の一月前ほどの紅葉開始の場所は良かったものの、今の時期に紅葉を迎える場所では期待できないというのが通説だ。
ところが、ここ虎渓山はどうだろう。何ら疑問を感じることなく紅葉が十分に楽しめる。車で1時間ほど、市内の山岳部へ出かけるよりも時間を要せずに美しい紅葉が手に入る。
昨年の京都を思わせる仏閣とモミジの紅葉の組み合わせは日本人の心に響く情景、中国の万里の長城と同様人工物と自然が同化して違和感をおぼえないのは日本では神社仏閣と自然の調和だろう。そろそろ終演を迎えてきた紅葉前線、もう少し追いかけてみようと思う。

2011年11月17日木曜日

四季桜 ~根羽村

根羽の待ちからそれて小戸名渓谷へ向かう道中に黒地の柿という有名な柿の木がある。これだけでも十分"田舎"を思わせる風物詩だが、その近くに四季桜と呼ばれる春にも秋にも咲く桜の木がある。今朝は周りの田んぼに霜が降りて寒さが厳しかったが、俗に言う寒桜と色が徐々に変わるカエデの共演が見られた。
正直寒桜は知っていたもたぶん今までにその気になって見た事は無いだろう。と思いながらその柔らかい花の色は春先の桜を思わせ一足飛びに来春を期待してしまう。ほんの半年ちょっと前はこの色をしっかりと追いかけたのだが忘れてしまうものだ。ゆっくりと咲くらしく今が見頃といったところだろう。

小戸名渓谷 ~根羽村

紅葉も終盤を迎え南に走るしか出会う事ができなくなってきた。土日に予定していたが天気が悪く青空が望めなかったのでそのまま家事で過ごしたが、今週末もまた天気が期待できない。となれば強行軍。自然は待ってくれないから。
今朝方の冷え込みで霜が一面に降りた根羽村の小戸名渓谷へ出かけた。
今年の紅葉はどうしても昨年ほどのものを期待できない状況にあるが、それでも足を運べば正直な今年の姿を見せてくれる。平日は車も少なく写真を撮る人たちも少ない、おかげで三脚をたてるのにも比較的気を遣わなくてすむのがありがたい。
根羽村といえば私の祖父は教員で、赴任先である根羽村で私の母は生まれ育った。もう30年近く前に一度だけその地を訪ねた事があったが、確かここら辺だった気がする。
渓谷では岩の上で足を滑らし尻を強打した、これは今日の日記として記しておかなければ。

2011年11月3日木曜日

高瀬渓谷

高瀬川渓谷と言うところへ初めて出かけてみた。噂には聞いていたが大町というと遠いというイメージが強い。しかしながら時間にすれば2時間、それほど遠いところではない…とは青木湖まで出かけて知ってはいるが。あいにく天気は恵まれなかったが、今週末は雨が予報されており、紅葉は待ってくれない限り強行するしかない。多分、本来高瀬渓谷の紅葉というのは高瀬ダム周辺を指すのではないかと思うのだが、その高瀬ダムへは一般車進入禁止で手前の七倉ダム上流でシャットアウトされてしまう。…高瀬ダムは東電のダムだからテプコ館同様の扱いになってしまったのか?
近辺では猿が多数出没し、紅葉の谷をのぞき込んでいるとその木々の上では猿が親子でいたり、道路では親子が肩を並べて座り込んでいたりやたらサル軍団に出くわした。
天候さえ良ければ、青空さえ広がってくれればと思うのだが天気だけはどうしようもない。来年再チャレンジ、青空の紅葉をおさめたい。

霊松寺 ~大町市

今年ははずしました。昨年もこの日11月3日に訪れたのだが、青空が広がり庭園の紅葉もピークを迎えていた。今年は少し遅かった様子。庭園内の樹木の葉は枯れて茶色となり中には葉が全て落ちてしまっているものもあった。しかしながら寺を囲む周りの紅葉はまだまだ行けそうで、銀杏は落ち葉はあるものの黄色を誇っていた。曇天に銀杏は難しい、白と黄色のメリハリがつかない。
昨年同様シンセサイザーのコンサートが行われていたが、山間に響く電子音がどことなくなじまないと感じていたのは私だけだろうか?
昨年の様子は http://wadanoko.blogspot.com/2010/11/blog-post_6898.html

2011年10月23日日曜日

下栗の里 2011秋

伊那谷がどうにか青空を広げているのに対して、南アルプス直下のこの地域ではアルプス越えの雲が立ちこめその稜線は望めなかった。オーソドックスな下栗の情景ではあるが、紅葉は8割と言ったところだろうか?緑の麓に点在する色合いがこのような状況。昨今のポスターになっているピークと比べると少々控えめだが、これくらいでも良いのではと個人的には思う。場所も個人的にはこちらの方が好きで集落の斜め上からよりもマチュピチュを思わせるこの方が好みだ。

里から聖方面に向かう谷間は紅葉が進み、水彩画の筆あとのようにカラフルな色で染められ、ここへ行くと毎回思う、夜明けから毎日このような自然の変化に囲まれて暮らす事の贅沢。勿論実際の生活となれば外部の我々では知り得ぬ苦労があるのだろうが、こと自然に囲まれた生活ではうらやましい限りだ。だからこそ我々外部のものはもっと気をつかってこの地を訪れなければ行けないのかもしれない。

御池山林道 2011秋

下栗をあとにしてしらびそ方面へ御池山林道。
曇天がぱっとしないが、下栗に比べれば紅葉は進んでいる感がある。道中ではそこかしこに紅葉が見られる場所があり華やぐ季節を装っている。バックは伊那山脈、はれていればその向こうに中央アルプスが見えるはずだがこれだけはどうしようもない。
林道沿いのそこかしこにインパクトを与える紅葉が存在するが、なんと言っても山全体が紅葉の彩りを見せるのは圧巻させられる。南アルプス=赤石山脈直下の麓、入り組んだ山容に錦絵が重なり合うように存在する。
ps:バイクの皆さん寝て走らないで下さい。

2011年10月22日土曜日

御射鹿池 2011秋

10月20日の画像です。
毎度おなじみ御射鹿池。私にとってここはなぜか惹かれる場所。四季を通じて出かける場所である。毎度書かせてもらう東山魁夷の緑響く、吉永小百合のアクオス。最近聞いた話ではこの池の上に位置する明治温泉にアクオスのロケでは吉永小百合が泊まったそうだ。…まあ大変な状況だったのであるという事と、本当にこの地を使ったという事が今のデジタル時代にCGでは無い事のうれしさを感じさせる。少し遅い感じはするもののまだまだ黄葉のピークであるのだろう。
御射鹿池とは言うものの見ればすぐにわかる人造湖。しかしながらこの池を囲む自然はそのままに水面に映り込む周りの風景は人工物とは言うものの自然と融和した情景を作り出す。これが電柱・電線では興醒めしてしまうのだろうが水という媒体が構造物を打ち消して風景を作り出しているのだろう。

浅間山

これは10月20日の画像。
今回の行程は、行きは諏訪ICから152、299で小諸に抜け、軽井沢経由で浅間山の東を抜けて草津。帰りは湯の丸高原を越えて東御へ抜けて、さらに和田峠を越えて岡谷IC経由で期間する行程。
時間よりも距離よりも行くべきところを必ず訪ねる事と、できれば高速ではなく東信の紅葉を見る行程。
こちらは先日訪ねた麦草峠を越え八千穂高原へ下る分岐点の「レストハウスふるさと」からの千曲平・浅間山の情景。浅間山といえば必ず思い出すのがまだ結婚前に妻と群馬の大学の先輩宅を訪ねた事を思い出す。周りの紅葉は少しピーク過ぎ。先週末がベストであったのでは?と思うが、唐松を主体とする東信の黄葉はそれなりの見応えある情景だ。

草津温泉

10月21日の画像。
何年かぶりに草津温泉の湯畑を訪れた。まだまだ子供たちが小さくもう少し寒い季節だったと思うが、早朝家族皆で湯揉みを見に出かけた覚えがある、それがどこに泊まったのか?記憶がないのだが、帰り際に道ばたで見た記憶ではあそこだったのではないかと思う情景はあった。
そのときには気がつかなかったのだが、湯畑の周りの石の柵にはそうそうたるメンバーが名前をそろえているが、最近の政治家から源頼朝まで。古くから湯治場であったのはわかるが物語で残せばよいのにと思う次第。。

やはり風情のある光景ではあるが、近代的なコンクリート造の建物よりはやはり木造3階建てくらいの建物の方がしっくりくるのは私だけだろうか?一面にたちこめる硫黄の臭いが温泉場を強調する。これだけの湯ノ花がつく温泉をどう処理されているのか?西の河原の本線がいわゆる温泉の排水路になっているそうだ。したがって、湯水はそこで河川放流され下流で国の機関が浄化し放流している。上水を伴う生活水は通常の下水処理をされているそうだ。よく考えると当たり前かもしれないが、気がつかなければそれまでの事実だ。

2011年10月16日日曜日

鳥倉林道 2011秋

娘が友達と一緒に帰省した。東京生まれの東京育ちの彼女は、これが妙な縁で妻と同姓同名。せっかくなので少々早い事を承知でとり倉林道を豊口山の登山口まで登ってみた。
昨年のデータではもう1週間先がベストと思われたが、帰宅して昨年と比べてみると、豊口山の手前の山並みは確かに昨年の方が紅葉が進んでいるが、豊口山自体は茶色が進んでいる事がわかった。ひょっとすると豊口山の紅葉はこれがベストと思われる。
こちらは展望台近辺の紅葉。標高差の分だけか幾分遅い紅葉だが、今朝方まで降った雨で空気が澄み、日向きがまともに当たる時間帯を選んだ事で空がくっきりと青さを出した。
もう1週間が見頃かな?と思いつつ日本最高の峠を控えるこの林道はやはり地域にとって誇れる自然の贈り物だろう。

2011年10月10日月曜日

白駒の池 2011秋

いよいよ秋がやってきた。昨年の平日ピークの紅葉が、今年は連休と重なって大渋滞を起こした八ヶ岳 白駒の池。麦草峠までは1時間半で順調にたどり着いたものの、そこから駐車場へたどり着くのに1時間半。。都合3時間をかけてしまったこの間に、霧のたちこめた情景から澄み切った青空を通り過ぎて雲が出てきてしまった。

昨年は青空に恵まれず、併せてあまりの迫力に負けてしまって右往左往してしまったのだが、今年は一転、落ち着いてまわる事ができた。それにしても多くの人が来ているものの、池の周りの遊歩道を歩く人はさほど多くなかった。冬には道路も閉鎖され、完全結氷するこの池も今年最後の華やかさを誇り、春に向けて厳しい季節を超えるのだろう。

それにしても道路渋滞が激しすぎる。原因は心許ない自己満足優先の自称自然愛好家の路上駐車だ。おまけに収拾手段を持たない警備員。あれじゃどんなによい自然を備えていても台無しになってしまう。歩きたい事も、自然を見たい事も気持ちはわかるがどこまでも自然に優しく振る舞ってもらいたいものだ。

2011年9月23日金曜日

付知峡 ~中津川市

すっかり朝晩冷え込み夏は終わり秋がやってきたようだ。紅葉シーズンを前に気になっている場所を偵察に。岐阜県中津川市付知町、下呂の少し下で比較的近い。距離にして80km程度、1時間半かければ十分、しかし、紅葉シーズンは混雑が予想される。
上の画像は不動滝上流の渓谷部、付知川の両側に岸壁が切り立っている。感じとすればこれがそのまま頭をはねられると寝覚ノ床といった感じで、事実近辺に"新寝覚めの床"というのがある…?
さすが木曽川に注ぐだけあって水はエメラルドグリーンで美しい。
こちらはさらに上流の仙樽滝。まだ台風15号の影響が残るのか水量が多く水しぶき激しくいったい亜霧に包まれた状況だ。
よく見ると隣に枯れてしまったような滝があるのだが、これがかつての滝なのか?はたまた単なる自然のいたずらなのか不明。峡谷の岩石がそのまま風化して切れ落ちたように丸みのない角の鋭角な岩石が付近を覆っていた。遊歩道でぐるっと一回りしてみたが、お決まりのと言っては失礼な「熊出没注意」の立て札があちこちにあった。そろそろ熊に気をつけなければと思いつつ、妻の持っていた熊鈴が妙に心強く感じた。もう少し付近の調査をして再度チャレンジする。

2011年9月18日日曜日

日本昭和村 ~美濃加茂市

明治村というのはどなたもご存じだろう。大正村は明智町にある。こちらは岐阜県美濃加茂市にある"日本昭和村"。昭和村ではなく日本が付く。初めて知って即行ってみた。
こちらは美濃加茂ICを下りてすぐだが、ハイウェイオアシスからも入ることができる。温泉まで付いているテーマパークだ。名前からして昭和の町並みを意識したように感じるのだが、その実昭和を生きてきた私には特別に昭和を感じる雰囲気はなかったが、これなどは懐かしいパーツ。
どうでしょう?すぐにこのコマーシャルの音楽が口から出てくる。「オリエンタル マースカレー、太陽の味マースカレー」だ。園内のお店でみなくなったこのカレーを売っている。どことなく粉っぽく、辛さは子供でもいけるあまり辛くない程度だ。んー、懐かしい。私の年代以上の方はそういえばみたことのある人形だと思うだろう。このカレーのパッケージはコック帽をかぶった子供がスプーンを持って写っている。思い出していただけたであろうか?
さらにこちら、何がよいかというと今はもう使われなくなった「パーマネント」という言葉だ。我がいとこがこれをカーマネントと言って大笑いをしたことを思い出す。もう40年以上前の事だが。
勝手に昭和の雰囲気を感じなかったと言いながらも、味、響き、言葉、質感、これを我が子供時代の昭和へ引きずり込んだ 昭和村 の勝ちだろう。やはり昭和村だけの事はある。是非一度行かれてみては、お勧めする。

太田宿 ~美濃加茂市

中山道"太田宿"。昭和村の近辺で今回は下見程度に足をのばしてみた。
同じ中山道の妻籠宿や馬篭宿の様にすべての住宅がそのまま残されているわけではなく、そこかしこに当時のものがそのまま残っている感じ。そういった意味では旧街道筋ではありがちな町並みというのが正解だろう。
ここでもやはり妻籠宿同様皇女和宮の話が大きく語られ、その様子を再現した 中山道祭り が催されるようだ。この和宮に関しては中山道は姫街道と呼ばれ、厳密な歴史の知識がない私には悲劇のヒロインと言って良い程度のものだが、和宮という名前に惹かれるものがある。

2011年9月16日金曜日

しらびそ高原

やはり平日とあって高原の賑わいは寂しい。私がたどり着いた昼近くは車が3台程度であった。それでもその道中は何台かの車とすれ違ったので上り下りしている人たちがいることは確かだが。
その名の通り赤石山脈の稜線から奥、静岡上空には雲が出ていてコントラストがつかないが、稜線はくっきり。
聖 兎 中盛丸山 大沢 小赤石 荒川 までがくっきりと手に取るように見えた。ここでの大沢の屏風状に切り立った山容と、明らかに山色の違うごま塩の荒川がくっきりと仁王立ちしていた。いずれにしてもこの山並みを見ながら座っていれば、時の過ぎるのも忘れてすがすがしくなるのは事実。欲を言えば本尊の赤石も見えると文句ないのだが、そこはそれ懐の深い山「赤石」、そう簡単には拝ませてくれない。くっきりした樹界がはっきりと見え、もうじきこれを茶色に焦がして頭を白くする季節がやってくる。

御池山林道

下栗からしらびそ高原へ抜ける道中、まだまだ緑輝くクマザサが生い茂り独特の白樺の点在が気になる場所。まだ秋には遠いが確実に近寄っている気配は感じる。雲の多い日となってしまったが、この連休は明日までが雨は降らず日曜日あたりから怪しくなる。本来下栗のそばの花を目指したのであるが、下栗へ上がれば当然ながらこの林道でしらびそへ抜けるのが横道だろう。
南アルプス側は雲が尾根にかかり、特に南に行くほど雲が多く上河内岳より南の稜線は雲をかぶって残念ではあるが、雲間の青空と冷たい空気、日差しを遮る木陰などは見た目にも涼しさを与えてくれる。御池山クレーターの縁は秋の紅葉が楽しみだ。

下栗の里



ここまで耕作します。「耕して天に至る」とはよく思いついた言葉。まさに家を建てれば屋根がそのまま裏の畑の高さになる。同じ勾配で畑が家の横にある。そしてその目先には南アルプス 聖 兎 上河内 がそびえる、毎朝夜が明けるとともにこのような山並みを見られれば幸せに思える。
実は私の祖母もこの下栗の生まれ、今でも小学校の宿題で時間に関する話を祖母に聞いたときの星の動きで時を知る方法を思い出す。まだまだ車の行き来もない時代のことである、夜明け前から働いていたであろうその時代、星の位置で時を知り自然とともに共存していた時代だ。
昨今の自然災害発生の多い時代、この急傾斜の土地もこのまま人々の生活の場であることを祈りたい。