毎度、千畳敷カールにまつわる宝剣岳。
今回はここのところの雪で、あの宝剣岳もかなり白くなったのではないか?と言う淡い期待で出かけたのだが、この千畳敷カールを持つ宝剣から伊那前岳の外縁山ではトップを誇り、おそらく氷河が削り落とす最初のスタートではその勾配は直壁で、雪がまつわりつくシワなどは何も無いのであろう白く化粧する余地を与えてくれない。
テストもかねてかなりの焦点距離に持ち上げてみた。400mm+APSC+テレコン×2 =35mm換算1,200mm。宝剣の頂上に誰か立っていないかと思ってみたが確認できない。それでもこの厳寒の中雪壁を登る登山者は絶えず、右側のルートとルートを上る2名の姿が確認できる。バックの空が深い青に変わり、しかも雪をかぶったこの山には何かしら魅力を感じる。手前千畳敷ホテルから少し下ったカールの縁部分はモレーンなのか?ふっくらなだらかな部分がトップの厳しさに対し優しさを感じさせる。
2011年1月23日日曜日
赤石岳 ・ 大沢岳 ・ 中盛丸山 ・ 聖岳 ・ 兎岳
今週末は体調不良により、三脚を担ぐ気はおろか外へ出る気力も失い家の中で過ごすこととなった。インフルエンザでなければよいのだが。…多分風邪。
そこで先週18日におさえた赤石山脈の勇姿を。竜西から午後の日がまわっての状況。残念ながらコンデジで周辺光量不足が目立つが十分勇姿は表現できる。
左(北)から「小赤石」「赤石」「大沢」「中盛丸山」「聖」「兎」。聖が兎より南に位置するが、赤石・大沢・兎でクランクとなっており、実際には奥へ折れ曲がって聖は兎より左に見える。
赤石は日本ベスト7。3,120m。大沢が2,819mで59位。中盛丸山は2,807mで65位。聖は3,013mで21位。兎は2,818mで60位。飯田市内でもある程度標高を稼がないと赤石は見ることが出来ないが、竜東のある程度の高いところへ登るとご覧の通り。
最近感じるところ、南アルプスという表現はそろそろやめて元祖赤石山脈と表現するのが妥当だろう。そこに赤石が有るのだから。
そこで先週18日におさえた赤石山脈の勇姿を。竜西から午後の日がまわっての状況。残念ながらコンデジで周辺光量不足が目立つが十分勇姿は表現できる。
左(北)から「小赤石」「赤石」「大沢」「中盛丸山」「聖」「兎」。聖が兎より南に位置するが、赤石・大沢・兎でクランクとなっており、実際には奥へ折れ曲がって聖は兎より左に見える。
赤石は日本ベスト7。3,120m。大沢が2,819mで59位。中盛丸山は2,807mで65位。聖は3,013mで21位。兎は2,818mで60位。飯田市内でもある程度標高を稼がないと赤石は見ることが出来ないが、竜東のある程度の高いところへ登るとご覧の通り。
最近感じるところ、南アルプスという表現はそろそろやめて元祖赤石山脈と表現するのが妥当だろう。そこに赤石が有るのだから。
北岳 ・ 中白根山 ・ 間ノ岳 ・農鳥岳
さらに北方向へ振ると、左(北)から日本第2の標高を誇る「北岳」「中白根山」「間ノ岳」「農鳥岳」がそびえる。
北岳は3,192m、中白根3,055m、間ノ岳3,189m 第4位、農鳥岳3,051m 第15位と日本の屋根を司るそうそうたるメンバーが林立する。前述したように北岳から一旦下って中白根山手前で標高3,000mを迎え、そこから間ノ岳のピークを越えて3,000mを切るまでの間は日本一長い超3,000mの稜線が2.5km続く。
北岳は3,192m、中白根3,055m、間ノ岳3,189m 第4位、農鳥岳3,051m 第15位と日本の屋根を司るそうそうたるメンバーが林立する。前述したように北岳から一旦下って中白根山手前で標高3,000mを迎え、そこから間ノ岳のピークを越えて3,000mを切るまでの間は日本一長い超3,000mの稜線が2.5km続く。
2011年1月15日土曜日
不動滝 …氷瀑
高森町の「不動滝」へ。諏訪湖の全面結氷がニュースになり、一昨日は不動滝の氷結がニュースとなった。新聞では積雪45cmと書かれていたが、行ってみれば四駆であれば十分終点の駐車場までは行く事ができる。多くの車が登ったわだちがあり、駐車場からも多くの足跡が確認できた。折しも伊那谷西側の山間は雪が舞う天候であったが、この自然が作り出す青白い冷たさが何ともこの地の冷え込みを語っている。
ここ何年か諏訪湖の御神渡りもなく、奥蓼科の乙女滝も氷瀑とはならなかった。どうやらこの冬は冷え込みが厳しく、しかも早い時期にやってきているようだ。積雪もあるものの滝壷は氷のかたまりとなっており滝壺ではしぶきを浴びる。
帰り道、某ヤザワ君が登りで乗用車を狭い道に横たえ塞いだ状態で苦慮していた。リアタイヤは側溝を越えてボディーが擁壁に支えられて止まった状況。聞けばスタットレスではあるもののFFだそうだ。これを皆で押しだし帰ってきた次第だ。
積雪は45cmはないものの、やはり四輪駆動車でないと無理な氷瀑だ。
2011年1月9日日曜日
経ヶ岳・黒沢山
人馬形の山頂からも登場した経ヶ岳・黒沢山だが、おそらく宮田村に属するのだろう。手前の尾根と経ヶ岳との間の洞があの権兵衛峠の谷になる。経ヶ岳の西方向にせり出した稜線は南北に見事な稜線を通しながら綺麗なラインを出している。この山まで行くと西側は日本海へ流れる分水嶺を有し木曽谷へ流れ込んだ雨は梓川方向への向かっていく。
千畳敷同様古代この山並みが出来た頃にどのような山容で、さらに氷河にどのように浸食されてこの綺麗なラインが出来たのか思いを巡らせるとほんの一瞬の我々の人生の間に変わるはずもない情景は間違いなく未知の姿に向かっている事が想像できる。
千畳敷同様古代この山並みが出来た頃にどのような山容で、さらに氷河にどのように浸食されてこの綺麗なラインが出来たのか思いを巡らせるとほんの一瞬の我々の人生の間に変わるはずもない情景は間違いなく未知の姿に向かっている事が想像できる。
千畳敷カール
先月の12日 http://wadanoko.blogspot.com/2010/12/blog-post_13.html の様子からすると、年末年始の雪をいただいて相当な白さを増しているのではと思いつつ気になっていたのだが、切り立った宝剣では雪が積もるはずもなくその岩場は相変わらず石目を出していた。
今回は少し角度と距離を変えて南側から遠目におさえてみたが、あらためて氷河期の終わりにこの地形を造りながら氷河が後退したと思うと、伊那谷は赤石山脈からの崩落と、木曽山脈からの崩落、その両方を受けて相当な堆積物が生じたのだろう。そして天竜川がその堆積物を運んだのか?または伊那谷自体も氷河の南下を受けて削られたのか?自然のなせる技でできあがった自然美であるが、そこに住み着いた我々など歴史的にも新参者であり、その存在期間も取るに足らない時の一瞬なのだろう。
今回は少し角度と距離を変えて南側から遠目におさえてみたが、あらためて氷河期の終わりにこの地形を造りながら氷河が後退したと思うと、伊那谷は赤石山脈からの崩落と、木曽山脈からの崩落、その両方を受けて相当な堆積物が生じたのだろう。そして天竜川がその堆積物を運んだのか?または伊那谷自体も氷河の南下を受けて削られたのか?自然のなせる技でできあがった自然美であるが、そこに住み着いた我々など歴史的にも新参者であり、その存在期間も取るに足らない時の一瞬なのだろう。
2011年1月6日木曜日
経ヶ岳・黒沢山・美ヶ原
新春の陣馬形山から伊那谷北方向、左手には遠く経ヶ岳、黒沢山が白く鎮座する。右方向の丸味を帯びた山は美ヶ原、陣馬形山頂の双眼鏡からは美ヶ原のアンテナがはっきり見える。
右手手前の山と美ヶ原との間に諏訪湖があると思うと、なんと伊那谷は短いのだろう、一群一市という言葉があるが正に少子高齢化が進む現在、一群一市どころか一谷一市で経済自立を目指さないとこの谷には人がいなくなってしまうかも知れない。
右手手前の山と美ヶ原との間に諏訪湖があると思うと、なんと伊那谷は短いのだろう、一群一市という言葉があるが正に少子高齢化が進む現在、一群一市どころか一谷一市で経済自立を目指さないとこの谷には人がいなくなってしまうかも知れない。
仙丈ヶ岳・北岳・中白根山・間の岳・農鳥山
陣馬形山山頂から南アルプス方向、雲が多く農鳥から南方向は時々稜線が覗くだけではっきりと見えなかった。千丈の左手はその姿の通り鋸岳。初冬の初冠雪に比べるとしっかりと雪をいただき遠目にもその積雪の深さを感じさせられる。くどいようだが中白根山手前から標高3,000mに達し間の岳のピークを過ぎるまでの間、約2.5kmが日本一超3,000mの稜線が長い区間だ。
白根三山という言葉があるが、私は北岳・中白根山・間の岳と思っていた。調べてみると北岳・間の岳・農鳥岳が白根三山らしい。ただ、この縦走コースには北岳3,192m、中白根山3,055m、間ノ岳3,189m、西農鳥岳3,051m 、農鳥岳3,026mと、なんと五山も3,000m級の山が 並んでいる。伊那谷の平地を南北に走るとほぼどこからも見られるのはこの高さ故かも知れない。
なお、手前大鹿村の牧場では積雪の上に群れをなして走り回る鹿の姿が見られ、道中でも鹿の声と姿を目にした。
白根三山という言葉があるが、私は北岳・中白根山・間の岳と思っていた。調べてみると北岳・間の岳・農鳥岳が白根三山らしい。ただ、この縦走コースには北岳3,192m、中白根山3,055m、間ノ岳3,189m、西農鳥岳3,051m 、農鳥岳3,026mと、なんと五山も3,000m級の山が 並んでいる。伊那谷の平地を南北に走るとほぼどこからも見られるのはこの高さ故かも知れない。
なお、手前大鹿村の牧場では積雪の上に群れをなして走り回る鹿の姿が見られ、道中でも鹿の声と姿を目にした。
2011年1月2日日曜日
風越山 ~ 摺古木山 ~ 安平路山
中央アルプス南端、標高2,200m級の山並みも白装束をまとい冬本番を迎えた。残念ながら待っても待っても稜線は雲から解放されなかったが、例年になく年末から雪が降り寒さも一段と厳しくなった。すがすがしい日射しを浴びながらいつもと同じ静かなまち並みは雪をいただいた麓の下新たな新年を迎えた。
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