人馬形の山頂からも登場した経ヶ岳・黒沢山だが、おそらく宮田村に属するのだろう。手前の尾根と経ヶ岳との間の洞があの権兵衛峠の谷になる。経ヶ岳の西方向にせり出した稜線は南北に見事な稜線を通しながら綺麗なラインを出している。この山まで行くと西側は日本海へ流れる分水嶺を有し木曽谷へ流れ込んだ雨は梓川方向への向かっていく。
千畳敷同様古代この山並みが出来た頃にどのような山容で、さらに氷河にどのように浸食されてこの綺麗なラインが出来たのか思いを巡らせるとほんの一瞬の我々の人生の間に変わるはずもない情景は間違いなく未知の姿に向かっている事が想像できる。
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