
まず、森鴎外が1年、その10年後夏目漱石が3年間過ごした住宅。明治の文豪が二人も過ごしたのは珍しいのか?説明によると特に夏目漱石の「我が輩は猫である」はこの家で書かれたらしい。一方森鴎外は本業は陸軍の軍医であって、ヨーロッパに留学中に日本の家について、欧米から「不衛生」等と指摘されることに反駁するため「日本家屋論」をドイツの学会で発表したそうだ。しかし、家が低く、立ち机には向かない。畳は不衛生な材料である。家の構造そのものが暖房に向いていない。と言う点は認めざるを得ない。と残しているようだ。この後日本の建築も部屋の独立や、応接と言った近代的な建築に変化していった様だが、未だに畳を好む日本人は、ある意味で効率性よりは文化として受け止めた方が良いのかも知れない。

いずれにしても新緑の若葉に恵まれた明治村は、天気の良さに恵まれて青空と緑、建築物が調和した風景が広がっていた。次回秋の明治村を訪ねる目標を定めて今回の明治村シリーズを完としたい。
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