2008年12月7日日曜日

駒ヶ岳が


前回登ったときには西風にあおられ、木曽谷からのフェーンで雲をかぶり込んでいた駒ヶ岳だが、

昨日の荒天に期待して朝から登ってみた。

思った通り、朝日を浴び千畳敷カールがすっかり雪をいただいて天を受けている。

積雪のない時にはさほど目立たない千畳敷ホテルもくっきり、おまけにロープーウェイの鉄塔の朱までくっきりと見える。

ホテル上のトップが宝剣岳、右へ降りて中岳を経て駒ヶ岳山頂へ。

振り返って南アルプスは、朝の逆行を浴びて稜線をくっきりと見せるだけである。

しかしながら時間とともに斜光に浴びるとやたら雪面がきらきら=テカテカと輝き出す。

なかなかその様子を写し撮ることはできないが、それはそれで美しさを見せてくれる。

2008年11月24日月曜日

香嵐渓2


帰り道は東海環状を選択、足助町を抜ける3kmほどが相当の渋滞。

おそらくここを抜けるのに30分はかかっただろう。

我々が153側からすんなり入れたことを思うと、反対側の名古屋方面から入る道は大渋滞。

最終的に足助町の中心街から延々とグリーン道路入り口の約10km間はほとんど動くことない渋滞だった。

また来年もチャレンジだ。

香嵐渓


今週が紅葉の最後かと、愛知県の香嵐渓へ出かけた。

ナビでは高速道路を進めたが、153で。

道中ネバーランドで毎度のカレーを食べ、いざ香嵐渓へ。

実はこれが正解。香嵐渓は大渋滞、早めに個人の800円の駐車場へ車をおいて歩くこと10分ほど。

一回りするもねやねやの状況で思うように歩くことは出来ない混み合い。

おまけに食に関する部分はどこも行列状態でどこのお父さんも並んで待っている。

一回りして、さらには香積寺(こじゃくじ)まで登り秋を満喫。

久しぶりに観光地へやってきた思いだった。

2008年11月21日金曜日

南アルプスが雪化粧2


南アルプス全景。

左端が仙丈岳。

残念ながら振り返った中央アルプスの稜線は木曽谷からの西風にあおられ、巻き込んだ雲に隠されていた。

南アルプスが雪化粧


満を持して南アルプスがその姿を現した。自分自身は例年より早く感じるが、一挙に雪化粧をした塩見岳?その切り立った姿はエベレストを思わせる。火山では見られない、隆起による堆積岩の造山特有の切り立ち方だ。<

2008年11月17日月曜日

黄金の紅葉


荒天が続く中気がかりだったイチョウを撮りに。

昨日も雨で落ち葉が気になっていたが、職場のY君とともに。

まさに黄金。…電線が残念。

2008年11月1日土曜日

この秋一番の出来


連休で娘が帰省した。

先週の写真を送ったところ見に行きたいというので満を持して?少々遅いのではないかと想いつつつれていってみた。

この彩り、今年一番の美しさに思う。

2008年10月31日金曜日

夢の中央新幹線


何日か前の話ではあるが、JR東日本が中央新幹線=リニアモーターカーのルートに関わる調査の結果を発表し、国交省へ報告をした。

ルートには3ルートあり、長野県は県民の総意(昔民意の総意とよく使った田中康夫という人もいた)としてBルート(東京~諏訪~伊那谷~名古屋)だそうだ。

JRはCルート(東京~飯田~名古屋)が経済性、リニアの特性からも有利とこだわった発言をした。

私もそう思う。

私の子供の頃から「リニアモーターカー」は存在した、ようやく夢の新幹線が実現される段階になって長野県=村井知事も情けない発言だ。

リニアが長野県を通る、県をあげてJRを応援する。ましてJRが自費で建設するのだから諸手を挙げて応援する。

そんな姿勢はどこにもなく、ただ自分のところを通らないことを批判するのに徹する各市町村の長はいかがなものか?

そんなどころか、今日の新聞によるとJRが申請した、南アルプス作業道の農地転用申請を受け入れず、JRはそれをあきらめたとある。

これって県知事のご機嫌をとるJRに対する嫌がらせ?

ルートに関わる市町村をまとめきれない村井さんの力のなさ+その知事のご機嫌を伺って農地転用の書類を受けない職員。

古くから北高南低と言われた長野県政は未だに受け継がれ、新幹線、高速道路、さらには夢の新幹線も長野県の南部には与えてもらえない。

2008年10月28日火曜日

雪が、


竜東の秘密の場所?=3本白樺の木がある馬の背へ、駒ヶ岳に雪が。
下界では紅葉を待っているのに山頂では雪。
南アルプスも雪を被ったと聞いたのですが…、確認できません。

2008年10月26日日曜日

長野県南部の紅葉2




雨降りの中県境を越えて愛知県へ。茶臼山⇒根羽村へ。
冷たい雨が降る中、既にその寒さは冬でした。
しかしながら紅葉は待ってくれない、見渡す限り霧に包まれながらも見える範囲の紅葉は真っ盛り。荒天にもかかわらず多くの人が訪れています。

2008年10月21日火曜日

長野県南部の紅葉







信州南部、平谷、旧浪合村へ行ってきました。
県中部でもまだまだの紅葉が、何故南部でこんな状況なのか?
標高か?地形か?
とにかく真っ盛り。
紅葉は字のごとく紅葉の木の赤がポイント、ナナカマドの赤も良いけど…。いよいよ冬が近くまでやってきています。

2008年10月16日木曜日

ダルマ


これがダルマ。

その頃1600ccといえば十分、2000ccなどもってのほか、デビューした2800ccのソアラなどはとてつもない化け物に見えた。

ハコスカ


私が車に乗りだした頃、すでになかなか手に入らなかった名車だ。

ハコスカ、ケンメリ、ジャパン。

まあ、当時の族車。ケンメリ波ありふれていたし、ジャパンも結構だった。

しかしこのハコスカは破格の値段で売られていた。

私は当時セリカのダルマと呼ばれるクーペタイプがほしかったが、未だに乗ったことはない。

ダルマの白。このSTではなくGTがあこがれの名車だ。

前期と後期ではフロントサイドマーカー部分がとがっているのとすとんと落ちている違いがある。

私はとがった前期タイプ。

重いとは全く違う37レビンで青春時代を過ごした。

2008年10月3日金曜日

森将軍塚古墳


千曲市の森将軍塚古墳へ寄ってみた。

前々より一度はみたいところであったのだが、時間と都合の関係でよれずにいたところだ。

知ってからHPで何度かのぞいたが、その規模は想像することができず、むしろかなり大きなスケールを想像していた。

現実は、想像していたよりは小さい、…私の勝手な想像でありそれでもでかいが。

古墳館もしっかりみた後古墳へ上がってみた。

歩いても行けるが15分程度、入場券を購入する際セットで買えばバスでの送迎がつく。

館でその復元までをみると長い年月の風化=自然の力を感じる。

元々善光寺平は古墳の宝庫のようだ、おそらく列島創造後この地に人間が住み着いた時にはほとんどこの状況であったのだろう。

そうやって年表を思い浮かべれば人類の歴史など地球の、宇宙の歴史からすればほんの瞬きに過ぎない。

ちなみに森将軍とは森という将軍の古墳ではない。

森地区の偉い人の古墳ということらしい。

2008年8月31日日曜日

再びビーナスライン


娘が夏休みを終わって出かけるのが近くなり、電気屋へ出かけたはずが白樺湖、美ヶ原まできてしまった。

前回の渋滞は何のその、ビーナスラインもスキスキ。

あいにく夏の雲でアルプスはみられなかったが、ま、娘も満足か?

という娘もまだ1ヶ月ほど休みはあるが、東京でお連れと遊びたいのだろう。

2008年7月31日木曜日

陣馬形山へ


思いつきでY君と陣馬形へ登った。

あいにく天気がよくない、はれていれば伊那谷、南アルプスが一望のはずなのだが。

眼下に広がる飯田~伊那、思っているよりも北上している、正面は飯島あたり、山頂からすぐ右手に駒ヶ根のまち、右上には木曽駒の千畳敷カールが見える。

毎度ながら雪をいただいた中・南アルプスの方がその雄大さを物語る。

2008年7月19日土曜日

再び海野宿・美ヶ原【152走破シリーズ完結】




かねてより妻が行きたがっていた海野宿へ152走破もかねて実行。


妻とにかく有名な「うだつ」を是非みたいということだ。


海野宿に限らずうだつは有名な古い町並みには結構存在する。


行きは岡谷から142経由ビーナスライン予定だったが、それ口に気がつかずそのまま和田峠まで登ってしまった。すかさずトンネルをくぐらずに旧道へ。


初夏の日に富士山まで見えていたのでは?…おそらく見えていた。


そのまま152へ合流。


信濃鉄道大谷駅前で右折すればもうそれは北国街道、駅前が北国街道と秋葉街道の交差点だ。


しばらく海野宿を多能した後、国道18号へ出て152の終点から南下。
あっという間の白樺湖であった。
多くの車がビーナスラインへ上がるので、帰りに利用しようと思っていたが様子見に上がってみた。
車山からさきはほとんど渋滞、燃料急騰の折テレビのニュースでは苦言ばかりのユーザーが多いが、そんなことはない。苦言とは別に車の台数は湯水のごとくわき上がる。展望台などはとても車を止めることはできない。
ちなみにビーナスラインをあきらめ、大門街道を下るが、上がる車、観光バスの多さ。
丸い稜線は老年期の山を思わせる、しかも東西方向の稜線だ。
南部では南北方向の稜線に、血気盛んな青年期の山に切り立った稜線しか望めない。
そういえば、恵那を超え茶臼山を含めた三河大地の山並みもこんな感じだ。






2008年7月13日日曜日

浜松~地蔵峠・浜松発【152走破シリーズ】



Y君が152南方方面の探索に出かけた。


わざわざ奥さん同伴で一泊行程、しかも北上し20号を南下、


韮崎で52号に乗り換えて身延山の谷を下る、出たところは国1。


いただいた写真の中にはきれいな海も有る。


どうやら152起点は浜松市の連尺交差点のようだ。


そこから、152をひたすら北上、三遠南信自動車道の草木トンネ。


どう見ても静岡県側の整備が進んでいる気がする。


写真はY君提供、ご苦労様でした。

2008年7月6日日曜日

しんわの丘ローズガーデン


博物館でもらった高遠内の案内図にローズガーデンが載っていた。

昼食をとる場所も未定な我々にとってどことなく行ってみることで出会いがある。

時期すでに遅し、来年はもう少し早く来るべし。

6月中旬がベストだろう、お出かけメモに記載。

高遠城址




江島の囲い屋敷と桜で有名な高遠城址へ。


あの桜の時の勢いはどこへ?


ひたすら人のいない城址、当たり前か?


気になっていた江島の屋敷へ、何とも質素な部屋に一輪の花。


木造の家、障子一枚の戸、家財のない部屋。


そこに着物姿で生活をしたと思うと、なんと日本人の文化は質素なものか?


2008年6月24日火曜日

上村~杖突峠・杖突峠【152走破シリーズ】




いよいよ杖突峠へ。


高遠のまちから意外に近い、峠付近には特別なモニュメントは発見できないが、なぜか校倉造り風の建物が有る。


これを下れば茅野に出る。


まずは本日の旅はこれまで、茅野に下り中央高速で家に帰る。




今回の愛車、ワゴンRスティングレーMターボ。


大鹿の細い道筋など誠に便利、ターボのパワーも力強い。


今後はナビゲーションの搭載が課題だ。…ETCはついています。

2008年6月23日月曜日

上村~杖突峠・美和ダム 高遠【152走破シリーズ】







分杭峠からさらに下り北上を続ける。



前回はこの道中で東にそれ駒ヶ根の街中へ天竜川を横断して戻った。



まずは美和ダムの美和湖。ダム上流に公園が有る。街道からは入り口がわかりにくいが、なとなく湖に近づく感じで入れる。



公園内に美和湖岸まで降りられる散道があり、これまた中央構造線の露頭がみられる。



北川露頭に比べると小規模なものだが、見上げる分杭峠からまっすぐにここまで走っていると思うとこれまたダムも大断層の上にあることとなり安全性って々なのか?



もっとも何千年何万年規模で動く地球の変動では、人間の悪さなどへのようなものでたいしたことはないのだろう。



湖では湖岸まで車を下ろし、モーターボートとボードを楽しむ若者がいる。



ウォータースポーツとは海のものかと思ったが、山の中でもできるものなのだ。



さらに下る。



右に「さくらホテル」が見える、確かY君の母方のおじーさんの何かがあると聞いていたが、実はここで右にそれ旧道を走る。新道ではトンネルでくぐってしまう場所を三峰川沿いに走り、ショートカットで152へ戻るか、または橋を渡っていきなり城址の下に出る。



高遠はまたの機会とするが、歴史を理解して尋ねるには誠に楽しみな場所だ。

2008年6月22日日曜日

上村~杖突峠・分杭峠2【152走破シリーズ】







さらに、リニアボーリング現場から再び秋葉街道に戻ると、さらに北上。



北川露頭を経て再び分杭峠へ。



前回と異なり今夏は余裕で探索、北方向谷間に美和ダムが広がる。



桜で有名な高遠城址、大騒動で流された絵島の屋敷がある。






本日も峠は0磁場満員御礼。

上村~杖突峠・中央構造線博物館【152走破シリーズ】




地蔵峠から秋葉街道を下ると大鹿村にたどり着く。


ここで、話題の中央新幹線=リニアモーターカーの試験調査のため、JR東日本が行っているボーリング調査現場を探しに。


とその前に、有名な中央構造線博物館。


入場料500円…これは高い気がするのだが…


もちろんそれだけの価値が有るのだろうが、あえて博物館庭の展示物で十分この地が構造線の真上にあることがわかる。


さて、リニアの旅は人から聞いた話だけを頼りに鹿塩川筋に入っていく。


どんどんと走ると目前には南アルプスが迫ってくる。


たまたま、BHを乗せたセルフの後ろにつき、これぞ現部へ行く車と思いひたすらついて行くと、


狭窄部で止まってしまった。…幅員不足である。


どうにか回避するべく後退するとちょうどよい広場がある。と、眼下にフェンスで囲まれた工事現場が。


今度はそこへ向けてひたすら下る。


案の定絶え間なく回転する固まりが。


写真では右から左方向へボウリングが打ち込まれている。


…満足。何とかここへ抜けるべくリニアの実現を願う。

2008年6月21日土曜日

上村~杖突峠・地蔵峠【152走破シリーズ】




さて、身近な秋葉街道=国道152号線。


この道を終点から起点まで走り抜く々でもよいチャレンジだが始まった。


152は静岡県浜松市から現東御市大屋までの旧秋葉街道だ。


まず手始めに、旧上村と飯田市との境ー地蔵峠からスタートする。


旧秋葉街道は伊那山脈と称される南北の標高1000mぜんごの山脈と、


南アルプス=赤石山脈との間を走る秋葉様参道。


全く中央構造線の上を内帯・外帯に出入りしながら走っている。


特に赤石山脈の隆起に起因する南北方向にせり出した部分での峠は、


決まって山頂東・西側に地質からつぶれた部分にできている。


これも先人の知恵だろう。


2008年6月16日月曜日

海野宿


うだつで有名な海野宿へ。

あの「うだつがあがらない」のうだつだ。

かねてより行きたいと思っていたのだが、なかなか近くまで行っても寄る機会がなかった。

旧新の混在は…と思いつつ。

2008年6月15日日曜日

青いケシの花【152走破シリーズ】

分杭峠:磁場0らしい。東京からの高級車、服装もどこかそこらへんの遊園地へ出かける雰囲気。とても山には入る雰囲気ではないが、それだけ有名なのか?
しばらく滞在してみたが、誠に急斜面で居心地が悪い。

中央構造線北川露頭。
見事に内帯と外帯が分かれる。おまけに滑ったときの熱で編成された岩石も明確にわかる。
とうてい人類が存在した時代のものではないが、46億年の一つの歴史が目の当たりにできる。





大鹿村、中心部でも山の中なのだが、青いケシの花の看板を見つけて道案内通りに走ること走ること。どんどん南アルプスに向かって登っていく。



山の尾根を走って行き着いたところは多くの人。



知る人によると青いケシの花と本当のヒマラヤケシは違うようだ。



俗称ヒマラヤポピーといったりブルーポピーと呼んでいたが…




2008年6月10日火曜日

ペットのMAXコーヒー


東京でしか手に入らないMAXコーヒー。

究極の甘さと、やたら手に入らないその存在から東京出張でホテルに泊まるときには必ず探す。

…ところが、双葉のSAでY君がいきなりペットボトルのMAXを飲んでいた。

すかさず携帯に納める。

マツキヨでは売っていると噂を聞いたが、東京から地方へ広がっているのか?

2008年6月1日日曜日

千畳敷カール【152走破シリーズ】




駒ヶ根市宮沢峠道中から。


まだまだ千畳敷カールには雪がある、目指す宮沢峠はどこか?
これぞ宮沢峠、生い茂る木々の間から木曽駒ヶ岳が。


2008年4月28日月曜日

春の訪れ


竜東の中腹へ登った。

その尾根には3本白樺の木が生え、その他が低木なのでひときわ目立つ。

いわゆる伊那谷に向かって直角にせり出した馬の背だ。

春の青空にひたすら新緑が生える。

2008年4月25日金曜日

笠松山から


左風越山、右千丈岳。
町並みがそっくり見渡せる。
南アルプスは雪をかぶって初めてその雄姿を誇示する。

2008年4月23日水曜日

チューリップが咲いた


玄関横にチューリップが咲いた。

娘が冬の間に植えたもの。

すっかり忘れていたが、その娘も2週間前から東京で暮らしを始めた。

早速携帯でおさえてメール添付で送る。

2008年4月13日日曜日

春の訪れ


毎年昨この花、何度も名前を聞いたのだがどうしても思い出せない。
色合いが個人的好みなので大好きなのだが。
球根で何年も越冬し咲き続ける。
春が来た。

2008年4月11日金曜日

桜満開


職場の向かいの公園。
桜が満開を迎えた、同じ桜のようではあるが実は種類がまちまちの様だ。
写真はボタン桜、と思われる。
ぶちぶちの花弁にミツバチがとまっているように見える。
日本人の心をくすぐる 桜 だ。

2008年4月9日水曜日

伊能忠敬


深川地蔵尊を訪ねた。

何と言うことではなく、訪問する会社の近くにあるので昼食をそこで。

初めて望んだ深川丼と深川飯、とてもおいしく感じた。

昼食後店を出るとすぐその前に伊能忠敬の像が。

土木を職とする私にとっては他人事ではない。

こんなところにいたのか。

2008年3月8日土曜日

我がふるさとへ

娘の入学を前に、私のふるさとへ娘と二人で出かけた。
父母はこの小さな山間の地で地元のしがらみを好んで生活をしている。
親父は一人さらに山間に入り、重機を動かして伐木の整理を行う。
元来の機械好き、山好きだから向いた商売だが、事故さえなく無事に楽しんでほしい。