2011年5月21日土曜日

藤 ~泉龍院

今週は地元の自治会活動に追われて今日明日がつぶれてしまう。次は牡丹かバラかと思いつつ次期に備えた準備をしつつも動くことができない。先週の豊丘村の泉龍院の藤。今週の様子はわからないが昨年と比べると残念なことに平日にピークが重なってしまった感がある。おそらく今週ではもう終わってしまっているのではないか?
南アルプスが残雪の少ないのに対して、中央アルプスはそれが多い。原因がよくわからないが、おそらく素人が思うに中央アルプスの方が日本海からの吹きつけが来たアルプス沿いに吹き込んで比較的冷気が漂うのはないか?と思っている。藤とサツキ、それに中央アルプスはやはり伊那谷のトレードマークだろう。
個人的には藤のオーソドックスな紫が好きなのだが、晴天の青空に生えるオフホワイトも冷たくなく柔らかな色合いで好きだ。一言で言えば白・紫・ピンクがここ泉龍院の三色藤の色だと思うが、それだけでなく藤自体もオーソドックスなものと、ブドウのように、八重のようにぶら下がる藤もある。少々複雑な花弁の構想に見えるがこれもまた珍しく感じる。

2011年5月15日日曜日

シバザクラ

伊那市小沢のシバザクラ。昨年見損なって気になっていたのだが、行ってみれば確かに綺麗だ。どうやら今期最終日に当たったようでおじさんたちはシバザクラの苗を安く売ってくれた。
前々から妻は薄紫のシバザクラを求めており、ホームセンターで買えばそれで済んでしまうのだが、知人にもらったりでそれを育てていた。
午前中近辺の藤をチェックしての午後の思いつきだったが、多くの人たちが園内を訪れていた。これで我が家もシバザクラが何年かごには覆ってくれるだろう。
道中も含め、南アルプスの雪は一挙になくなりその勇姿をだんだんと自然と同化した状況におきつつあり、仙丈ヶ岳、中白根山、間ノ岳、農鳥岳が黒くなっていくのがわかる。これらの山が超3,000m級であるのに対し、中央アルプスはそこまで高くない割には残雪が多く駒ヶ岳、特に千畳敷の残雪は宝剣がすっかり黒いのに比してしっかりと残っている。
これらの山が夏に向かいだんだんと白さを失うのは寂しいことだが、初雪からあっという間に夏を迎える自然の輪廻にはとうてい人間のサイクルなど太刀打ちできるはずもなく、地球規模の時間とその一瞬を生きる我々の命の規模の大きさの違いを改めて感じる。

2011年5月8日日曜日

台城公園

松川町台城公園。黄砂に覆われた青空を見られない晴天続きの中、本日は午前中その青さを見られた。藤を追いかけて走ったのだが、残念ながらまだ早いのか?一見すでに枯れてしまっているようにも見れる藤はまだ早く枝元で花をつけているが先端まではまだ行き届いていない。
場所によって随分と開きがあるものだが、台城の藤は他の地区よりは進んでおり甘い香りが立ちこめて蜂が日差しを浴びて元気よく音を響かせていた。
さて、台城公園と言えばツツジ。まだ少し早いのか?と思いつつも私の経験上満開よりは少し前、7~8分咲の方が少し物足りないが清楚さを見せて美しい。
中断のツツジは花芽を摘んでしまったのか?少し花が少なく寂しかったが、それでも青空に泳ぐ鯉のぼりと相まってこの空堀の谷を賑やかに飾っていた。

2011年5月5日木曜日

平石農場 ~菜の花

夏はひまわりで有名な阿南町の平石農場、春先は菜の花でいっぱいだ。小高い丘の上の稜線が菜の花に飾られその地形を柔らかく覆って曲線を描いている。残念ながら今日は黄砂の影響も大きく遠くの山がかすんでしまい、ま、これを春霞と言えばそれまでだが青空とすっきりとした遠くの稜線が欲しかった。8日まで花を楽しみ9日には肥料とするために倒してしまうそうだ。今年は寒さで桜が遅くなり、遠くの山の中腹には山桜とハナモモが色を添えていた。
次は夏、子供の頃の夏休みを思い出す情景に出会いに来よう。

2011年5月4日水曜日

東京スカイツリー

確か既に634mになっているはずだが、意外に低い。いやそう見えるだけだと思う。ご存じのアサヒビールからは結構離れているはずだから。とは言え地下鉄から浅草通りへ上がり、あずまばしから見るこの情景が王道だろう。最初はウンコのようなこのモニュメントをなんだろうと思ったものだが、今となればランドマーク、元々これを3つ付ける予定だったアサヒビールは本当に3つ付けていればかなりのインパクトだっただろう。雷門通りもねやねや、神谷バーはなぜか昼前にほどに長蛇の列、おそらくここから昼食をとりながらスカイツリー見物が出来るのだろう、名所がまた一つ増えるのは観光地としては良いことだ。
またの機会、妻とここで食事を取ることとしようと心に刻むのであった。

浅草 浅草寺

巣鴨に寂しく感じた我々は、そのまま浅草を目指しスカイツリーとのセットで歩いてみた。
浅草寺横から、隅田川方向にはスカイツリーも見える。さすがに連休、仲見世通りは勿論、横道、並行して走る路地は勿論ねやねやの状態。本堂参拝も遙か遠くからお賽銭を投げ込み手を合わせる始末だ。古くから東京の名所であることは間違いないが、意外にスカイツリーとの相乗効果でさらに磨きが加わって多くの人が来る場所と成ることは間違いないだろう。

巣鴨のとげ抜き地蔵

この連休のメインイベント、またも娘の軽い引っ越しで東京へ出てきている。
恒例の東京名所巡り、本日は"お年寄りの銀座"巣鴨へ。もう30年近く前になる、学生時代に一度だけ来たことがある、祖母へのお札を求めて。そのときの記憶と変わった印象は感じられなかったが、お札をどこで求めたのか記憶もないし、探してみてもお札を入手できる場所は見つからなかった。勿論どこかに有るのは間違いないだろうが。
確かにお年寄りで賑わう、特に4日は縁日だそうで露天商が軒を並べ多くの賑わいを見せていたが、それだけで少々我々夫婦には寂しく感じる巣鴨だった。

2011年4月30日土曜日

千人塚

気になっていた千人塚へ出かけてみた。
昨年は4/21に雪が降り、桜と雪の画像を納められたが今年は寒いとはいうものの雪との画像というわけにはいかない。
幾分散り始めた桜田が、中央アルプス南駒をバックに青空は望めなかったがそれでも桜の情景が納めたれた。ここはアルプスからの吹き下ろしの風が強く、桜は散り出すとその強風にあおられ一気に散ってしまう。ため池に散った花びらが浮かぶのだが、なかなかその水面は落ち着かず荒天を思わせる。
今年は南も中央も残雪が多いアルプスの稜線だが、今日あたりは幾分吹雪いて里では暖かい日が射しても山では雪降りだったのではないだろうか?
出来れば青空に稜線、そこに桜の情景をおさめたかった。

2011年4月29日金曜日

光前寺 桜

中沢部落から天竜川を渡りようやく見頃を迎えた光前寺の桜へ向かう。しかし、中沢に位ながら蔵澤寺の桜を見ない訳にはいかず、期待はしなくても寄り道…やはり説く既に遅し。既に葉桜となった桜軍団が夏を思わせるような涼しげな様子で迎えてくれた。
とって返して光前寺。あの有名な庭園のしだれ桜はと受付のお姉さんに様子を聞くと、1本開花中と言う。おまけにいつもと違って本日は無料開放。引き替えにらくがんとお茶、茶碗はいただけないが写真は無料になる。
んー、確かに桜はしだれが咲いているのだが、少々寂しい状況。ほとんど明かしきり状態で座敷からも写真を撮ることが出来た。
庭園をあとにして本堂をお参り。時折当たる日射しに満開を前にした桜が寂しげに、言い換えるとスリムに存在をアピールしてくれた。毎度私の持論、満開よりは7.8分咲きが一番美しい。まさに満開の隙間もない情景よりは、これくらいの空が透け、気持ちやせた姿の桜が大和撫子を思わせ私のイメージにはぴったり来る。

中沢のハナモモ

昨年から足を運び出した駒ヶ根中沢部落のハナモモ。人馬形から折草峠に下り、そのままの街道が中沢部落に通ずる。まだ時間が早いことからか多くの人たちは見られなかったが、昨年と比べると桜が遅れていることがはっきりする。昨年は散り始めの桜とハナモモのコラボだったのが、今年は咲き始めの桜とハナモモのコラボになっている。
もう2~3日するとベストかな?白~赤のハナモモ、黄色のレンギョウ、スイセン。さらに紫の芝桜と自然の渓谷にカラフルな色合いの競演が一見して美しさを連想させる。
強いて言えば電柱、電線とガードレールを配した道路がどうしてもじゃまに成ってしまうのが悲しい情景だ。

人馬形山

連休前半、天気の期待できるのは今日と明日の前半、日曜日には雨という予想だ。
前半の動く日を今日と定め午前9時には人馬形山頂に到着していたのだが、道中から東の南アルプス側は雲がたちこめ、さらに登りだしてからは西の中央アルプスも暑い雲の中に入り吹雪いている様子だった。
案の定、中央アルプスは時折雲の合間から白い巨体を現すだけで、その全容を見せることは無かった。
一方南アルプスは雲の切れ間が比較的長く連なる稜線を見えてくれた。
聖から兎、大沢、赤石、小赤石、荒川三山まで日を背にしながらもその勇姿を現した。人馬形山頂では南アルプスは午後の時間帯の日向きでないとからっとしないので仕方がないが、午後のガスッた状態ではなかなかクリアな状況は期待できない。
山頂は風強くフードをかぶってやっとの状況、妻などは冷えすぎて頭痛を呼んでしまった。。

2011年4月24日日曜日

高島城址 桜

今年は年度初めの忙しさにかまけ、県南部の桜はあきらめて時間ができてからの北へ追いかけることを 心がけていたが、今日は妻が前々から言っていた高島城址への桜の旅とした。
とはいえ、我々は高島城址公園と認識するが、行政の表現では高島公園となっている。どちらが正しいのか?
本日の予定は、高島城⇒水月公園⇒湊・船魂社⇒時間があれば高遠。と言う行程だ。午前8時出発。子供のいない我々にとってはもっと早くても良いのだが…。
高島城、こちら子供が小さい時に来たのだがそれが何年前でどんなところだったか全く記憶がない。状況とすれば満開。今日の青空とこのタイミングを逃しては今年のベストは無いだろう?と思えた。
駅近くの駐車場に車をおいて町中を歩きながら城へたどり着いたが、諏訪湖へ向かう河川はいかにも明治大正時代の工業の町中をイメージさせる雰囲気があり、まっすぐ深く伸びているのが印象だ。さて、高島城、観光地を思わせる賑わいは見せているがさほど人は多くない。桜とツツジが見頃を迎え、さらに空の青を加えてメリハリのつく色合いとなっている。らしい庭園と城は絵になる。天守閣へも登ってみた。京都の寺院のイメージと異なりこちらは土足のまま入ることができる意外性。天守からは日頃の行いの良さか?大きな富士山を拝むことができた。
もっともレプリカの鉄筋コンクリートの城と言ってしまえば味気ないが、それでもこの存在はこの町にとっては大きな存在だろう。

高遠城址公園


今年はあきらめていた高遠城址の桜、諏訪湖周辺から一挙に杖突峠を越え152号で高遠へ出てみた。時間はすでに午後の2時となっており、諏訪湖周辺では雨粒も落ちだしきわどい条件となったが、どうにか高遠へ。今年は少々横着に構えて満車表示をしてある城址への登り道を車で上がり例の大きな駐車場へ駐車することを試みた。時間も午後になれば人も減るだろうと安易な発想ではあるが、よく観察すると、渋滞の原因は大型バスで、普通車が上るだけではそうは渋滞は起こらない。時間はかかるものの麓から足で上がることとそうは変わらない時間で到着。今年は災害の影響でライトアップアは行わないそうだが、例年朝から訪れていた私たちにとっては午後は比較的人も少なく環境としては良く感じられた。…ご存じ桜雲橋の下の空堀の池の写り込みを。

桜は満開を過ぎ散り始めと言った状況だが、それでもまだ十分な量を誇示しており、桜の名所高遠にふさわしい状況を醸し出していた。
例年桜ソフトを食べる妻も、今日ばかりは風の寒さに手は伸びず高遠饅頭で事を足りていた。
今日がピーク、高遠の桜も月末にはすっかり葉桜となるであろう。

諏訪大社 秋宮

高島城から水口公園をめざし行ってみた。水口公園は墓地公園で桜も多く諏訪湖が一望できる情景にあるが、残念ながら送電線と電話線が多く未熟な私にはおさえるのにはその広大さを表現できずに帰ってきた。しかし、この公園景観にもこだわった墓地と思われ、大変に学ぶところ多い公園であった。多くの人たちが昼の宴を桜の木の下で行い、まさにお花見真っ盛りであった。
その後再び20号へ戻る道中で諏訪大社秋宮に寄った。何年前か?まだ息子たちが十分小さい時以来の参拝。本殿は補修工事中であの、独特の社を描いたシートで覆われていたが、本宮に比べ「秋」を思わせる地味なこちらの社は多くの人たちが訪れていた。

湊・船魂社 岡谷

諏訪湖を秋宮から半周し、岡谷市の湊地区、中央道の直下にこのしだれ桜はある。
案内を元にこの桜を探してたどり着いたが、見事な一本桜。そのいわれはと言うと、2006年7月の豪雨災害で土石流に襲われながら倒れなかったシダレザクラ。記憶に新しい諏訪岡谷地区が災害に見舞われ犠牲者の方も出たあの災害、桜近辺の道中は真新しい災害復旧のあとが見られ新築の家も多い。
樹齢110年余、高さ約20メートル。傍らに土石流で流失後、再建された本殿が立つ。中央道を走行中は諏訪湖ばかりに目がいくが、その足下で平和な生活の祈りを続ける一本だ。

2011年4月17日日曜日

氏乗の桜

久しぶりの激写。年度末・年度初めの忙しさ、職が変わることのメンタル的なことからしばらく三脚を担ぐ写真撮りは行っていなかった。今日はしばらく離れ忘れていた自然の美とその存在を久しぶりに思い出させてもらった。
あの米美智子女史もおさえた氏乗の桜。昨年初めて訪れてからお気に入りの1本。
根元の広場では地元の皆さんがお茶を振る舞い、なおかつお隣の神社では春祭りが行われている。

残念ながら遠景でも近景でも人工物が入ってしまい、なかなかその大きさを語る事ができないが、昨日の曇天と異なり青空を見せてくれた地球に感謝、田舎の優しさに感謝。
今日がおそらく満開、足下のスイセンもまさに花を添えて春。やはり自然は偉大だ。

春の遠山郷

 祖母の法事(27年回忌)でふるさと遠山へ出かけた。気になるはいかがな状況か?毎年早咲で有名なこの桜、おまけに県南端ではようきも手伝って3月下旬には例年満開を迎える。
ところが、さすがのこの桜を持ってしても今年は少々勝手が違うようだ。よその桜がそうであるようにやはり2週間程度の遅れは隠せない。
遠山川堤防の桜並木は、満開を迎え散り始めてはいるものの満開を維持している。

おまけに開花が遅れたことではなももの開花が追いつき桜だけにとどまらずあちこちで白、赤、ピンクの配色が見られる。
龍淵寺のパワースポットと相まって、他県ナンバーの車が行き交い神楽の湯の昼食は大繁盛?
昔当たり前のように過ごした春は、今となると気がつかなかった時代の流れを感じながらそれでもまだ変わらない静かさでこの谷の時間が流れている。

2011年4月16日土曜日

飯沼神社石段桜

飯沼神社石段桜と言うそうだ、我々は「飯沼神社の桜」だが。テレビのニュースによると、まだまだ愛護会的存在は2年ほどの活動だそうだが、私の母校の生徒にとっては忘れられない石段だろう。
高校入学まもなく体育の授業、班活では必ずここで鍛えられる場所。桜の存在とは別に高校時代の苦しい思い出の場所だろう。
石段の中腹で南アルプスを望むことができる。ここから桜の合間に見るアルプスは、北岳から中白根山、間ノ岳、農鳥岳が比較的大きく見る事ができる。山の話で恐縮だが、アルプスの眺めは場所によってからに異なりその不思議さを感じざるを得ない。もうすぐこの白さを失って夏の空に同化し消えて言ってしまう。
この年になってこの石段の往復は結構きつい。汗をかき、嫌でも高校時代を思い出す石段だ。

2011年4月9日土曜日

高松の桜

その足で我が母校の桜を見に。
私の在校中は校舎も違うし校舎の配置も違うが、この桜があったかどうか?記憶にないのが本当のところ。私がいた頃はここには駐輪場があったのだが、ひょっとするとその上に枝垂れていたのかもしれない。年をとり、時間が経過すると母校のありがたみが郷愁の様に感じられ改めて歴史と効果がよみがえってくる。

そのほとんどを学舎ではなく、遊び場として過ごした私には旧木造校舎の暗い廊下や、戦時中に黒く塗られた外壁が所々に残り、高校らしくないうっそうとした樹木に囲まれた大学のような出入り口のイメージだったが、新校舎になって明るく近代的で広々とした感じとして身近なものに感じられる。
今となるとこの場所に足を運び、いろんな思い出に浸れるのもここにこうして存在してくれるからだろう。…感謝。。

高松薬師堂の桜

3/11の東北関東大震災以来、自粛ムードが漂いようやく1ヶ月を迎える最近、どうにか自粛ばかりでは経済活動が停滞するとテレビでも言われ出した。被災された皆さんにはお悔やみを申し上げることは言うまでもないが、確かにすべての行事が自粛ムードに走り泣きっ面に蜂の状況はさらに拍車をかける雰囲気を肌で感じる。
ご多分に漏れずに、あれ以来気分的に乗らない私はカメラと三脚を持ち出して動く気になれず、この1ヶ月をうじうじとしていたのは事実だ。この恐ろしい自然災害は、東北から遠く離れた私にも精神的ダメージを与えているのは確か。しかし、地球の自然は輪廻、遅い早いと勝手に人間が言ってみても間違いなく繰り返しをしている。

この土日、不定期な時間に追われる仕事にさわやかな春空の下動き回ることはできないが、それでも日常生活の中で気になりだした桜の状況は焦りを感じさせ少々夕方になってしまったがざっと回ってみた。
高松薬師堂の桜。この通りを通勤路として7年目を迎えたが、昨年も書いたようにこのお堂の周りが整理されてから桜が生き返ったような気がする。これが広い丘にでもあれば十分名の知れた桜になるのだろうが、やはり現代の近代化した町並みの中ではやはり桜もそれなりの環境の中にとけ込まないと美しさを強調できないのかもしれない。
Yくんが「桜は見られて美しくなる。」と言ったが、確かに樹形や色合いは見られて美しくなる。
同期の桜とはいわないが、日本人の生活文化の中に広くとけ込み、一番マッチするのは桜かもしれない。

2011年4月2日土曜日

今年は今が 梅

先週の東京強行軍では、朝晩の冷え込みの中桜の開花を発見できたのだが、こちら長野県南部ではまだまだ桜のシーズンを迎えることが出来ない。
例年、娘の春休み中に桜の名所をいくつか見られるのだが、今年は梅の花が精一杯。桜を見ずに前期の開始、東京へ出かけることとなった。東北関東大震災の影響でそれぞれの大学が卒業式や入学式の自粛。入学試験を行えない大学はどうしたのだろうか?

恒例の早咲きの桜も蕾が赤く染まった程度で、今は梅が真っ盛りだ。紅梅は色を染め一段とめだって近寄ればその甘い臭いを周囲に漂わせ、通常の梅はそこかしこで満開を誇っている。
梅の花は桜と異なり比較的人の生活と密接で、山桜というのは聞いても山梅というのは聞かない。それが証拠に田畑に植えられたもの、水田の土手に植えられたもの、庭に観賞用として植えられたもの。いずれも人里で生活の一部となっている。
桜の前の静けさに今は梅の全盛期、例年より少々ゆっくり足の春の訪れだ。

2011年3月27日日曜日

東京では春

東北関東大震災、福島原発被災者の皆さん重ねて心からお見舞い申し上げます。
先週の連休に予定していた息子、娘の所への軽い引っ越し作業は、少なからず災害の影響を受けて先延ばしした状況だが、年度末、年度初め、さらには地方選挙を控え今週末の24時間強行軍としないとどうにもまわる事ができず妻の仕事が終わってからの昼夜を問わない状況となってしまった。
ネットなどでガソリンの状況などを調べながら、さほど深刻な状況ではないと想像していったが、やはり私が移動した東京郊外のルートでは待つ事もなく、給油制限もなく安心の満タン走行ができた。
さて、東京郊外の状況。あまりの寒さにダウンをまとって動いたが、それでもまだ飯田では見られない桜が咲いている状況が見られた。


東京郊外の住宅供給地。高層マンション群の狭間に小さなほこらがあり、かつては多くの人の集いの場であったであろう歴史を感じる情景に、一足早く咲いた桜がその存在を誇示している。
近場ではバラも咲き季節を疑う情景ではあるのだが、そこに手入れを行う人々の和があると思うとまだまだ捨てたもんじゃないと思える。
我々田舎者は、とかく東京都と聞くと近代的コンクリートジャングルを想像し、直線と冷たさでできあがった街並みを想像してしまうが、なになに近代的都市計画を取り入れた東京こそ人工的とは言え緑化率は街中に十分確保されている。
災害復興、原発の封じ込めが順調に、早々に進む事を願い、ゆとりを持って自然に心洗われる状況の到来を願う。。

2011年3月20日日曜日

春間近


東北関東大震災の被災者の皆さん、福島第1原発による避難者の皆さんに心からお見舞い申し上げます。
基本的に毎週更新を目指してきましたが、先週は地震による我が子供たちとの連絡に追われお休みをいただきました。近代的デジタル機器の意外なもろさをこの地震で思い知らされ、あまりに虚弱な基盤の上に成り立っている現代の通信技術に少々振り回され、なおかつがっかりした次第です。
そうした悲惨な情報がテレビを占領していますが、我が家の庭でも草花が蕾や花をつけふきのとうが咲き出しました。
間違いなく自然は繰り返され冬を越した植物は新たな季節を迎えています。
同様に必ずや復興は行われ再興すると思われます。
かつて戦後の復興、高度成長を成し遂げた我が日本国民は、その持ち前の勤勉さによりおもいもよらぬ早さでの復興が、そしてこの悲惨な出来事に負けることなく強い民族意識が成し遂げると信じます。
まだ原発においては予断を許さぬ状況ではありますが必ずや克服することを祈ります。

2011年3月5日土曜日

中央アルプス南端・南アルプス

このところの天候で、中央アルプス南端、南アルプスは日々山の色合いを変化させる。雪が降ったかと思うと暖かい日が続き白黒を繰り返す毎日だ。朝起きて一番最初に見る摺古木はその象徴で、三角にとがった山容を白く染めたり半分黒くなったり、残念ながら黒一色となったり、寒さに凍みる時期では春が早く来るように願うのであるが、勝手な事に山並みが白から黒に移ると寂しく感じたりする。
南方から風越山を中心に望んでみた。市街地からは正面に風越山を望みその奥にそびえる2,000m級の山並みは幅広く見えないが、市内を移動してその裏側までのぞき込むと、平面的な山の様子が立体的に見える。これだから地形はよく分からない。左端の摺古木から安平山、奥の白く見える山は念丈、奥念丈あたりではないかと思われる。こうやってみるといかに風越山が小さいか。谷の底で生きる我々の見えている範囲は狭いか痛感する。
取って代わって伊那谷東を見ると、天竜川の河岸段丘の裏に南アルプス=赤石山脈がそびえる。特に山脈名の赤石から南は話題に少なくその山名も広く知られないが、北の千丈、北岳から南は聖、上河内あたりまでその山頂を見せてくれる。この伊那谷はなんと言ってもよく見える千丈が存在感があり、なおかつ谷の北端から南端まで見える事もあり代表的な存在であるが、我々谷の南部に住む者にとってはむしろ赤石以南の山をもっと意識して親しむ事が必要だと思う。

2011年2月27日日曜日

思い出の鉄道遺産

少々変わったジャンルであるが、私にとっては幼少時代を思い出させる遺産。最近産業遺産という言葉をよく耳にするようになったが、山奥の立派な造成地に未だに崩れることなく産業工場が残っている。おそらく鉄道もそのジャンルに入る立派な産業遺産の一部と思われるが、「鉄道遺産」と言う言葉がどうやら存在するようであえてこの言葉としたが、文明開化とともに鎖国の遅れを取り戻すべく殖産興業のブームに不可欠なインフラの一部だ。過去のこういった遺物がその日本を今の地位に押し上げ、勤勉性とともに国を造り上げてきた。
幼少の頃、車に乗せられ豊橋に向かうとよく天竜川の縁に古い鉄道敷きと使われなくなったトンネルが道の遙か下に見えたものだが、その思い出をよみがえらせる光景。
飯田線の中では、多分1955年・佐久間ダムの建設に伴う路線変更が一番大きな変更であろうが、かつての国鉄、国を挙げての政策が実現されていた頃は一つの目的に向かって国民が一つとなってがんばった古き良き時代である。明治30年に始まる身近な飯田線の歴史を調べてもかなりの期間と歴史が存在するが、多くの費用と人員をかけ一度は現役を走ったこれらの産業遺産も引退すれば忘れられそのまま置き去りにされるのは寂しいものである。
画像は1982年(昭和57年)落石回避のために平岡~鶯巣間の路線変更に伴い廃線となった橋梁とトンネル。したがって私はこの鉄道橋を渡る電車に揺られていたはずだ。
枕木も線路も外されて単純な骨だけとなった今もそこにあるだけで多くの思い出や疑問、歴史を尋ねる機会を与えてくれる。

2011年2月20日日曜日

沢底の福寿草

寒く厳しい冬が終わりを告げる花のシーズンがやってきた。
青く冷たい雪や氷、南アルプスの積雪のイメージから日射しの暖かさを目に感じさせるシーズンだ。
辰野町の沢底地区、福寿草祭りを来週に控え少し早いとは思いつつ出かけてみた。既に歩道には案内看板が設置され、我々と同世代の夫婦連れが歩いていた。
南向きの法面に多くの福寿草が見られたが、まだまだ蕾が多く来週の祭典には丁度良いくらいと思われる。福寿草と言えば雪の合間から黄色い花を持ち上げるイメージが強いが、先週の大雪はどこかへ行ってしまい、その目で見える暖かさの中で小さな花を開花、開花準備を行っていた。
さて、ここ沢底地区に多くの道祖神があるそうだが、これが日本では最古の道祖神とされるもの。
刻まれた年号は永正2年(1505年)だからおおよそ今から500年前、その扱いが現存する道祖神の年号が確認できるものという事であろうから意外に年数が経っていないがそれでも人間の寿命からすれば相当に長い。関ヶ原の合戦の100年前には存在していた事になる。このような小さな集落は日本の生活文化の特徴だろう、おそらく都の派手な名称を訪ねる事を否定しなくても日本各地生活に根付いた文化は存在し、その中でこういった遺物が残され人々の生き様がこれからも刻まれていく。
救われるのはこういったものの対象の多くが夫婦である事だ。

2011年2月19日土曜日

浄心の滝

各地で春の訪れを告げるニュースが飛び交いだした。身近な所では鴬巣の梅の開花が新聞で照会され、いよいよ南信州にも春が間近に感じる季節になりつつある。
鴬巣の梅園はまだまだ私が高校生の頃父と二人夜釣りを行いに行った場所で、夏の夜砂岸に寝ころんで真夜中満天の星を眺め、恐ろしさにも感じる静けさの中初めてUFO(未確認飛行物体)を目撃、あれから30年経た今でもあれはUFOだと信じている。
さてさて期待の梅はまだまだ、一部に開花は見られるものの見事な梅園という雰囲気ではない。それにしても残念なのは天竜川岸は砂岸から竹藪に変わってしまい、梅の面積は少なく荒れていく一方である。端から一時的に見に出かけて残念がっても私の身勝手と感じるが、古くからTVニュースに上がる開花の場所としては少々残念な状況だ。
梅園に行く道中、道路の脇に滝を見かけた。「浄心の滝」と言うそうだ。
こちらの方向へ足を向け、おそらく今までもあったであろうこの滝は旧道沿い、旧JR飯田線橋梁の奥に有りおそらく道端に看板など無かったであろうし、昔は昔で当たり前の情景だったのだろうが、昨今の人寄せブームで大きく世に出てきたのだろう。
結構立派、過去は4段だったそうだが現在は2段。滝壷横の平地には観音様が奉られ今は「寝たきり封じの不動様」といわれているそうだ。
暖かいようきに反して滝の下にいると寒さがきわまり手がかじかんでしまう。
遠い過去から自然崇拝は人間の信仰の中心であったがここでもそれを思わせる情景、ただ石仏には明治の刻みがありさほど歴史を感じさせないが、形に残す前人々が自然にここへ集まっていた事は想像がつく。
ただ、残念なのは滝の中断に赤いスプレーで線が引かれている事だ。一挙にさめてしまう。

2011年2月13日日曜日

富士山

朝高層マンションの一室から見る空は見事に青かった。妻や娘が掃除をする間に富士が撮れるという期待で足を運んだ。
このまちの駅には富士山が見られる富士見テラスというのが有り、見事に近代建築の合間から富士の姿を眺める事ができる、さらにこの通りを富士見通りと名付け区画を整理した事に感心し、感謝をする。それだけ古くから富士の眺めは生活の一部だったのだろう。
普段我々の生活では富士を見る事ができない、あらためてみようと思えば諏訪から甲府へ抜ける谷方向へ出向かなければならない。天気さえ良ければ富士を眺められるこの地に生活する娘はもう当たり前の景色なのだろうが、あえて富士を意識したときには貴重な景色である事を感じて欲しい。

八ヶ岳

昨日、一昨日とは打って変わっての快晴、青空が見えると妙に雪山を撮りたくなる。
期待を寄せながら中央道の帰り道、いつもと違った八ヶ岳を撮る事ができた。諏訪湖畔、蓼科から見る八ヶ岳よりはさらに南に回り込むので噴火で吹き飛んだ山容は見る事ができないが、それだけに新鮮な山並みに写る。
参考) http://wadanoko.blogspot.com/2010/01/blog-post_31.html
過去富士山と八ヶ岳のけんか話は記述したとおりだが、そのけんかのあと富士山のつぶやきが「奴がたけー」だったと新たな昔話も最近耳にした。

2011年2月12日土曜日

上野 東照宮

湯島天神からあえなく 不忍池 がある。ここは元々競馬場。確かに行ってみると周遊する歩道がそのまま競馬場となる様子が分かる。今放送中のサザエさんのオープニングにも新旧比較のテーマでこの不忍池が出てくる。
あいにく吹き付ける雪の中湖面を渡って不忍弁財天をお参りし、上野公園に上がって東照宮へ。これもまたその名の通り徳川ゆかりのものだ。「冬牡丹」祭りが開催され積雪が残る園内には一見ネズミ男のようなわらの笠をかぶった牡丹の花が見頃を迎えていた。
大きな灯籠、雪、牡丹を構成すればここが東京かと思わせる奈良の様相を思わせてくれる。

社殿は現在改装中で上部はご覧のように工事用のシートがかぶっている。
東照宮と言えば当然日光東照宮ではあるが、湯島聖堂に始まったお茶の水から上野の夫婦ぶらりたびは、東京というよりは江戸。徳川300年の歴史に根強く影響され育った文化が随所に見られ、また上野に東照宮などがある事自体があまり知られていないのはないかと思わせる発見の旅に終わった。
また次回、有名でいて行った事の無い旅を続けたい。
参考) http://www.uenotoshogu.com/