今春自治会活動の一環で雨の中歩いてこの地を訪れた時にふと奥まったところに緑の苔が生い茂った場所を見つけた。誰も気がつかない所ではなく、私が初めて気がついたのであろうが、点在する樹木は古く、日が当たればかなりの木陰になる気持ちの良さそうな場所である。
有名な所を追いかけるのも一つだが、身近な自然の発見はよりいっそう地域の宝物を発見したようでうれしいものだ。
こちらもすぐそばにあるちょっとした池だが、朝日が差し込む中で霧が見る間に生まれ何とも大自然の凝縮の様に感じられた。なかなか目に映った様子を神秘的に表現できないなのが未熟さで悲しいが、この池の日向ではオニヤンマ”が飛び交い、先般の売木の蓮の時に感じたシオカラトンボとともに子供の頃よく見たオニヤンマを久しく見ていないなーという感想をいっぺんに覆し、なんと身近にいたのかと見直してしまった。
2011年8月28日日曜日
2011年8月20日土曜日
龍淵寺 ~南信濃
今週は我が家が檀家である龍淵寺へいわゆる法事で出かけてきた。
飯田地方では一般に"法事"と呼び、黒ネクタイに正装していくが、南信濃では格好もこだわらず、法事などとも言わず単に「年忌」または「○○回忌」と言う。今年は私のおじいさんの33回忌、まあ、一応の最後の回忌になる。また大勢が集まる事もなくほんの身内だけで行われる。
私などはGパンにシャツ、帰省中の娘と極身内の合計6名で行った。この点文化の違いを感じざるを得ない。
画像は幼少の頃から歯の神様と教えられてきた石像。ごらんの通り歯を抑えているが、おそらく自分に変わって歯を病んでくれると言うのだろう。40年ほど前の幼少期はここら辺は遊び場で、生活の中にお寺は有ったし、仏事も生活の一部でしかも自分の身内が収まっていれば怖いなどと言う感覚は全くない場所であった。
観音霊水で名が売れた龍淵寺であるが、昨今は流行のパワースポットとしても言われているようだ。画像は遠山土佐守墓地に有る樹齢400年とも500年とも言われる杉の巨木。綱と幣束がまかれ鈴までつけられていた。ネットで検索すると飯田の観光地として紹介されているが、果たして観光地なのか?その点の解釈はお任せする。
本堂裏には戦没者の遺影や骨壺が有り、その空間だけはいまだに太平洋戦争終了時までの時間で止まっている。ここら辺も私の幼少時期にはごく自然に生活の中に入り込んでいた場所、凛々しい遺影はいまだにそのまま時を止めている。
よく遊んだ時とは本堂も改修され、車でも行けるようになりずいぶんと石像などが変わったがやはり安らぐ場所なのかもしれない。
飯田地方では一般に"法事"と呼び、黒ネクタイに正装していくが、南信濃では格好もこだわらず、法事などとも言わず単に「年忌」または「○○回忌」と言う。今年は私のおじいさんの33回忌、まあ、一応の最後の回忌になる。また大勢が集まる事もなくほんの身内だけで行われる。
私などはGパンにシャツ、帰省中の娘と極身内の合計6名で行った。この点文化の違いを感じざるを得ない。
画像は幼少の頃から歯の神様と教えられてきた石像。ごらんの通り歯を抑えているが、おそらく自分に変わって歯を病んでくれると言うのだろう。40年ほど前の幼少期はここら辺は遊び場で、生活の中にお寺は有ったし、仏事も生活の一部でしかも自分の身内が収まっていれば怖いなどと言う感覚は全くない場所であった。
観音霊水で名が売れた龍淵寺であるが、昨今は流行のパワースポットとしても言われているようだ。画像は遠山土佐守墓地に有る樹齢400年とも500年とも言われる杉の巨木。綱と幣束がまかれ鈴までつけられていた。ネットで検索すると飯田の観光地として紹介されているが、果たして観光地なのか?その点の解釈はお任せする。
本堂裏には戦没者の遺影や骨壺が有り、その空間だけはいまだに太平洋戦争終了時までの時間で止まっている。ここら辺も私の幼少時期にはごく自然に生活の中に入り込んでいた場所、凛々しい遺影はいまだにそのまま時を止めている。
よく遊んだ時とは本堂も改修され、車でも行けるようになりずいぶんと石像などが変わったがやはり安らぐ場所なのかもしれない。
2011年8月16日火曜日
ひまわり ~阿南町平石農場
今年も行ってきました。
盆休みになって朝の天候がはっきりせず出かけるのを躊躇させられますが、空の様子は言ってみないとわからない。意外に青空が広がることが多い。案の定雲は多いものの炎天下に汗だくとなってしまいました。5月には菜の花でいっぱいだったこの場所も、今はひまわりでいっぱい。
http://wadanoko.blogspot.com/2011/05/blog-post_05.html
なだらかな丘の曲線をひまわりが現しています。今年のひまわりは小粒でまだ蕾も多く遅れ気味と思われますが、農場のおじさんによると「7月が暑くなかった。」ということです。
http://wadanoko.blogspot.com/2011/07/blog-post_25.html
画像としてのひまわりは「元気が出る。」という評判が多いですが、その様子を見に行くとそのきちんと整列した様子は時に群衆のごとく何かに向かって殺到する様にも見え、また行列をなしてどこかへ行進するようにも見え、そしてこちらに向かって興味深く見つめているようにも見えます。
幾分遅めの開花ですが、今週末には刈り取って油にするそうで土曜日までが出かけるチャンスです。
盆休みになって朝の天候がはっきりせず出かけるのを躊躇させられますが、空の様子は言ってみないとわからない。意外に青空が広がることが多い。案の定雲は多いものの炎天下に汗だくとなってしまいました。5月には菜の花でいっぱいだったこの場所も、今はひまわりでいっぱい。
http://wadanoko.blogspot.com/2011/05/blog-post_05.html
なだらかな丘の曲線をひまわりが現しています。今年のひまわりは小粒でまだ蕾も多く遅れ気味と思われますが、農場のおじさんによると「7月が暑くなかった。」ということです。
http://wadanoko.blogspot.com/2011/07/blog-post_25.html
画像としてのひまわりは「元気が出る。」という評判が多いですが、その様子を見に行くとそのきちんと整列した様子は時に群衆のごとく何かに向かって殺到する様にも見え、また行列をなしてどこかへ行進するようにも見え、そしてこちらに向かって興味深く見つめているようにも見えます。
幾分遅めの開花ですが、今週末には刈り取って油にするそうで土曜日までが出かけるチャンスです。
2011年8月7日日曜日
向原蓮池 ~売木村
今日のメインはこちら、と言っては明皇山に申し訳ないが以前から気になっていた場所。昨年は井戸尻遺跡の蓮を見に出かけたが、こと南信州にこだわるとここが有名だろう。勿論他にも有るが。
多分どこも休耕田の利用だと思われるが、蓮は結構手間がかかるので大変だろう。こちらもあれこれと情報を元に出かけたが、見過ごして戻ってしまった。出かける時期にもよるが、蓮という観点から見ると井戸尻よりも立派と思われる気がする。もっとも井戸尻の蓮は蓮だけで価値のある古代蓮と呼ばれるので意味が違うかもしれないが。
確かにピンクの古代蓮は幾分黄色い部分を含む花弁になるが、こちらの蓮はピンクから白にかける花弁だ。おそらく1枚の水田と思われるがこれから当分見頃と思われる。午後から雨が予想されている天気の中で青空が広がり夏の暑さを感じさせる蓮となった。
知識不足からどうしても蓮と睡蓮がごちゃになってしまうが、蓮は背が高く葉が丸い。さらに蓮根の元だ。睡蓮は背が低く葉が切れていて丸くなっていない。良く混同してしまうが、先端までとがってぴりっとしているのが睡蓮だ。
多分どこも休耕田の利用だと思われるが、蓮は結構手間がかかるので大変だろう。こちらもあれこれと情報を元に出かけたが、見過ごして戻ってしまった。出かける時期にもよるが、蓮という観点から見ると井戸尻よりも立派と思われる気がする。もっとも井戸尻の蓮は蓮だけで価値のある古代蓮と呼ばれるので意味が違うかもしれないが。
確かにピンクの古代蓮は幾分黄色い部分を含む花弁になるが、こちらの蓮はピンクから白にかける花弁だ。おそらく1枚の水田と思われるがこれから当分見頃と思われる。午後から雨が予想されている天気の中で青空が広がり夏の暑さを感じさせる蓮となった。
知識不足からどうしても蓮と睡蓮がごちゃになってしまうが、蓮は背が高く葉が丸い。さらに蓮根の元だ。睡蓮は背が低く葉が切れていて丸くなっていない。良く混同してしまうが、先端までとがってぴりっとしているのが睡蓮だ。
明皇山あじさいの里 ~売木村
この時期になってあじさいがまだ咲いているのは県内でも北信地方かまたは高冷地でないと考えられないが、売木村はやはり高原なのか?山間地であじさいが見られる。
新野の手前当たりから、エアコンを切ってむしろ窓を開けてはした方が涼しさを感じられる。通常の新野から売木へ抜けるルートではなく、新野峠から売木村へ入るルートの道中に明皇山(ミョウコウザン)のあじさいがある。以前に一度ついでに探したが発見できなかった事がある。ヒノキ林の中にあじさいが咲いていて、それが密集することなく何ともあじさいの名所とは違って自然美に包まれている。とは言え自生した物ではなくて植えられたものだとは思うのだが。
もう30年ほど前になるがここら辺一体はアルバイトで測量をした地域、その頃と何ら変わった様子はないが思い出せば懐かしいエピソードがいっぱいある地域だ。
新野の手前当たりから、エアコンを切ってむしろ窓を開けてはした方が涼しさを感じられる。通常の新野から売木へ抜けるルートではなく、新野峠から売木村へ入るルートの道中に明皇山(ミョウコウザン)のあじさいがある。以前に一度ついでに探したが発見できなかった事がある。ヒノキ林の中にあじさいが咲いていて、それが密集することなく何ともあじさいの名所とは違って自然美に包まれている。とは言え自生した物ではなくて植えられたものだとは思うのだが。
もう30年ほど前になるがここら辺一体はアルバイトで測量をした地域、その頃と何ら変わった様子はないが思い出せば懐かしいエピソードがいっぱいある地域だ。
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