このところの天気からすると、この連休は当てた口。朝から青空が広がり初秋の空を思わせる行楽日和に恵まれた。
さて、このところ話題を呼んでいる、世界遺産と騒ぐ富岡製糸場に関連する岡谷の製糸の歴史。
以前、富岡では解説を行うおじさんが、「岡谷へ機械を返したらそれっきりもらえなくなってしまった」と悪く言っていたが、それは当然でしょうと私は思っている。何せ片倉の資産であったのだから。富岡製糸場は http://wadanoko.blogspot.jp/2013/07/blog-post.html
しかしながら、富岡が明治5年の話ならば、こちらの岡谷の製糸は昭和5であるので、実に60年ほども後の話で始まっている事がそもそも負けてしまう。館内は撮影禁止であったので外観のみではあるが、以前の博物館に比べれば相当に良くなっている。
なんと言っても、その名の通り、ファクトリーが館内にあり、現実の製糸が営まれているのを見ることが良い。実現できそうでなかなかできないその形式が誠に良い。
ただし、岡谷の製糸の歴史とすれば、きれいなところが多く、その昔の工女との労働条件を巡る抗争などが美化されて深くつっこまれておらず、富国強兵の時代に生きた女性の状況が説明不足である気がする。旧山一林組はこちら。http://wadanoko.blogspot.jp/2011/07/blog-post_03.html
その実、富岡から60年もの近代化を成し遂げた日本において、時代遅れも甚だしい男尊女卑の世界がそこに存在したのは歴史の事実ではあるものの、広く学ばなければならない問題だ。
あゞ野麦峠の代表者 政井ミネに代表される工女の悲劇、野生み峠とも言われた話を再び広げ歴史に学ばなければならないと思う。
野麦峠はこちら http://wadanoko.blogspot.jp/2009/08/blog-post_02.html