2011年4月30日土曜日

千人塚

気になっていた千人塚へ出かけてみた。
昨年は4/21に雪が降り、桜と雪の画像を納められたが今年は寒いとはいうものの雪との画像というわけにはいかない。
幾分散り始めた桜田が、中央アルプス南駒をバックに青空は望めなかったがそれでも桜の情景が納めたれた。ここはアルプスからの吹き下ろしの風が強く、桜は散り出すとその強風にあおられ一気に散ってしまう。ため池に散った花びらが浮かぶのだが、なかなかその水面は落ち着かず荒天を思わせる。
今年は南も中央も残雪が多いアルプスの稜線だが、今日あたりは幾分吹雪いて里では暖かい日が射しても山では雪降りだったのではないだろうか?
出来れば青空に稜線、そこに桜の情景をおさめたかった。

2011年4月29日金曜日

光前寺 桜

中沢部落から天竜川を渡りようやく見頃を迎えた光前寺の桜へ向かう。しかし、中沢に位ながら蔵澤寺の桜を見ない訳にはいかず、期待はしなくても寄り道…やはり説く既に遅し。既に葉桜となった桜軍団が夏を思わせるような涼しげな様子で迎えてくれた。
とって返して光前寺。あの有名な庭園のしだれ桜はと受付のお姉さんに様子を聞くと、1本開花中と言う。おまけにいつもと違って本日は無料開放。引き替えにらくがんとお茶、茶碗はいただけないが写真は無料になる。
んー、確かに桜はしだれが咲いているのだが、少々寂しい状況。ほとんど明かしきり状態で座敷からも写真を撮ることが出来た。
庭園をあとにして本堂をお参り。時折当たる日射しに満開を前にした桜が寂しげに、言い換えるとスリムに存在をアピールしてくれた。毎度私の持論、満開よりは7.8分咲きが一番美しい。まさに満開の隙間もない情景よりは、これくらいの空が透け、気持ちやせた姿の桜が大和撫子を思わせ私のイメージにはぴったり来る。

中沢のハナモモ

昨年から足を運び出した駒ヶ根中沢部落のハナモモ。人馬形から折草峠に下り、そのままの街道が中沢部落に通ずる。まだ時間が早いことからか多くの人たちは見られなかったが、昨年と比べると桜が遅れていることがはっきりする。昨年は散り始めの桜とハナモモのコラボだったのが、今年は咲き始めの桜とハナモモのコラボになっている。
もう2~3日するとベストかな?白~赤のハナモモ、黄色のレンギョウ、スイセン。さらに紫の芝桜と自然の渓谷にカラフルな色合いの競演が一見して美しさを連想させる。
強いて言えば電柱、電線とガードレールを配した道路がどうしてもじゃまに成ってしまうのが悲しい情景だ。

人馬形山

連休前半、天気の期待できるのは今日と明日の前半、日曜日には雨という予想だ。
前半の動く日を今日と定め午前9時には人馬形山頂に到着していたのだが、道中から東の南アルプス側は雲がたちこめ、さらに登りだしてからは西の中央アルプスも暑い雲の中に入り吹雪いている様子だった。
案の定、中央アルプスは時折雲の合間から白い巨体を現すだけで、その全容を見せることは無かった。
一方南アルプスは雲の切れ間が比較的長く連なる稜線を見えてくれた。
聖から兎、大沢、赤石、小赤石、荒川三山まで日を背にしながらもその勇姿を現した。人馬形山頂では南アルプスは午後の時間帯の日向きでないとからっとしないので仕方がないが、午後のガスッた状態ではなかなかクリアな状況は期待できない。
山頂は風強くフードをかぶってやっとの状況、妻などは冷えすぎて頭痛を呼んでしまった。。

2011年4月24日日曜日

高島城址 桜

今年は年度初めの忙しさにかまけ、県南部の桜はあきらめて時間ができてからの北へ追いかけることを 心がけていたが、今日は妻が前々から言っていた高島城址への桜の旅とした。
とはいえ、我々は高島城址公園と認識するが、行政の表現では高島公園となっている。どちらが正しいのか?
本日の予定は、高島城⇒水月公園⇒湊・船魂社⇒時間があれば高遠。と言う行程だ。午前8時出発。子供のいない我々にとってはもっと早くても良いのだが…。
高島城、こちら子供が小さい時に来たのだがそれが何年前でどんなところだったか全く記憶がない。状況とすれば満開。今日の青空とこのタイミングを逃しては今年のベストは無いだろう?と思えた。
駅近くの駐車場に車をおいて町中を歩きながら城へたどり着いたが、諏訪湖へ向かう河川はいかにも明治大正時代の工業の町中をイメージさせる雰囲気があり、まっすぐ深く伸びているのが印象だ。さて、高島城、観光地を思わせる賑わいは見せているがさほど人は多くない。桜とツツジが見頃を迎え、さらに空の青を加えてメリハリのつく色合いとなっている。らしい庭園と城は絵になる。天守閣へも登ってみた。京都の寺院のイメージと異なりこちらは土足のまま入ることができる意外性。天守からは日頃の行いの良さか?大きな富士山を拝むことができた。
もっともレプリカの鉄筋コンクリートの城と言ってしまえば味気ないが、それでもこの存在はこの町にとっては大きな存在だろう。

高遠城址公園


今年はあきらめていた高遠城址の桜、諏訪湖周辺から一挙に杖突峠を越え152号で高遠へ出てみた。時間はすでに午後の2時となっており、諏訪湖周辺では雨粒も落ちだしきわどい条件となったが、どうにか高遠へ。今年は少々横着に構えて満車表示をしてある城址への登り道を車で上がり例の大きな駐車場へ駐車することを試みた。時間も午後になれば人も減るだろうと安易な発想ではあるが、よく観察すると、渋滞の原因は大型バスで、普通車が上るだけではそうは渋滞は起こらない。時間はかかるものの麓から足で上がることとそうは変わらない時間で到着。今年は災害の影響でライトアップアは行わないそうだが、例年朝から訪れていた私たちにとっては午後は比較的人も少なく環境としては良く感じられた。…ご存じ桜雲橋の下の空堀の池の写り込みを。

桜は満開を過ぎ散り始めと言った状況だが、それでもまだ十分な量を誇示しており、桜の名所高遠にふさわしい状況を醸し出していた。
例年桜ソフトを食べる妻も、今日ばかりは風の寒さに手は伸びず高遠饅頭で事を足りていた。
今日がピーク、高遠の桜も月末にはすっかり葉桜となるであろう。

諏訪大社 秋宮

高島城から水口公園をめざし行ってみた。水口公園は墓地公園で桜も多く諏訪湖が一望できる情景にあるが、残念ながら送電線と電話線が多く未熟な私にはおさえるのにはその広大さを表現できずに帰ってきた。しかし、この公園景観にもこだわった墓地と思われ、大変に学ぶところ多い公園であった。多くの人たちが昼の宴を桜の木の下で行い、まさにお花見真っ盛りであった。
その後再び20号へ戻る道中で諏訪大社秋宮に寄った。何年前か?まだ息子たちが十分小さい時以来の参拝。本殿は補修工事中であの、独特の社を描いたシートで覆われていたが、本宮に比べ「秋」を思わせる地味なこちらの社は多くの人たちが訪れていた。

湊・船魂社 岡谷

諏訪湖を秋宮から半周し、岡谷市の湊地区、中央道の直下にこのしだれ桜はある。
案内を元にこの桜を探してたどり着いたが、見事な一本桜。そのいわれはと言うと、2006年7月の豪雨災害で土石流に襲われながら倒れなかったシダレザクラ。記憶に新しい諏訪岡谷地区が災害に見舞われ犠牲者の方も出たあの災害、桜近辺の道中は真新しい災害復旧のあとが見られ新築の家も多い。
樹齢110年余、高さ約20メートル。傍らに土石流で流失後、再建された本殿が立つ。中央道を走行中は諏訪湖ばかりに目がいくが、その足下で平和な生活の祈りを続ける一本だ。

2011年4月17日日曜日

氏乗の桜

久しぶりの激写。年度末・年度初めの忙しさ、職が変わることのメンタル的なことからしばらく三脚を担ぐ写真撮りは行っていなかった。今日はしばらく離れ忘れていた自然の美とその存在を久しぶりに思い出させてもらった。
あの米美智子女史もおさえた氏乗の桜。昨年初めて訪れてからお気に入りの1本。
根元の広場では地元の皆さんがお茶を振る舞い、なおかつお隣の神社では春祭りが行われている。

残念ながら遠景でも近景でも人工物が入ってしまい、なかなかその大きさを語る事ができないが、昨日の曇天と異なり青空を見せてくれた地球に感謝、田舎の優しさに感謝。
今日がおそらく満開、足下のスイセンもまさに花を添えて春。やはり自然は偉大だ。

春の遠山郷

 祖母の法事(27年回忌)でふるさと遠山へ出かけた。気になるはいかがな状況か?毎年早咲で有名なこの桜、おまけに県南端ではようきも手伝って3月下旬には例年満開を迎える。
ところが、さすがのこの桜を持ってしても今年は少々勝手が違うようだ。よその桜がそうであるようにやはり2週間程度の遅れは隠せない。
遠山川堤防の桜並木は、満開を迎え散り始めてはいるものの満開を維持している。

おまけに開花が遅れたことではなももの開花が追いつき桜だけにとどまらずあちこちで白、赤、ピンクの配色が見られる。
龍淵寺のパワースポットと相まって、他県ナンバーの車が行き交い神楽の湯の昼食は大繁盛?
昔当たり前のように過ごした春は、今となると気がつかなかった時代の流れを感じながらそれでもまだ変わらない静かさでこの谷の時間が流れている。

2011年4月16日土曜日

飯沼神社石段桜

飯沼神社石段桜と言うそうだ、我々は「飯沼神社の桜」だが。テレビのニュースによると、まだまだ愛護会的存在は2年ほどの活動だそうだが、私の母校の生徒にとっては忘れられない石段だろう。
高校入学まもなく体育の授業、班活では必ずここで鍛えられる場所。桜の存在とは別に高校時代の苦しい思い出の場所だろう。
石段の中腹で南アルプスを望むことができる。ここから桜の合間に見るアルプスは、北岳から中白根山、間ノ岳、農鳥岳が比較的大きく見る事ができる。山の話で恐縮だが、アルプスの眺めは場所によってからに異なりその不思議さを感じざるを得ない。もうすぐこの白さを失って夏の空に同化し消えて言ってしまう。
この年になってこの石段の往復は結構きつい。汗をかき、嫌でも高校時代を思い出す石段だ。

2011年4月9日土曜日

高松の桜

その足で我が母校の桜を見に。
私の在校中は校舎も違うし校舎の配置も違うが、この桜があったかどうか?記憶にないのが本当のところ。私がいた頃はここには駐輪場があったのだが、ひょっとするとその上に枝垂れていたのかもしれない。年をとり、時間が経過すると母校のありがたみが郷愁の様に感じられ改めて歴史と効果がよみがえってくる。

そのほとんどを学舎ではなく、遊び場として過ごした私には旧木造校舎の暗い廊下や、戦時中に黒く塗られた外壁が所々に残り、高校らしくないうっそうとした樹木に囲まれた大学のような出入り口のイメージだったが、新校舎になって明るく近代的で広々とした感じとして身近なものに感じられる。
今となるとこの場所に足を運び、いろんな思い出に浸れるのもここにこうして存在してくれるからだろう。…感謝。。

高松薬師堂の桜

3/11の東北関東大震災以来、自粛ムードが漂いようやく1ヶ月を迎える最近、どうにか自粛ばかりでは経済活動が停滞するとテレビでも言われ出した。被災された皆さんにはお悔やみを申し上げることは言うまでもないが、確かにすべての行事が自粛ムードに走り泣きっ面に蜂の状況はさらに拍車をかける雰囲気を肌で感じる。
ご多分に漏れずに、あれ以来気分的に乗らない私はカメラと三脚を持ち出して動く気になれず、この1ヶ月をうじうじとしていたのは事実だ。この恐ろしい自然災害は、東北から遠く離れた私にも精神的ダメージを与えているのは確か。しかし、地球の自然は輪廻、遅い早いと勝手に人間が言ってみても間違いなく繰り返しをしている。

この土日、不定期な時間に追われる仕事にさわやかな春空の下動き回ることはできないが、それでも日常生活の中で気になりだした桜の状況は焦りを感じさせ少々夕方になってしまったがざっと回ってみた。
高松薬師堂の桜。この通りを通勤路として7年目を迎えたが、昨年も書いたようにこのお堂の周りが整理されてから桜が生き返ったような気がする。これが広い丘にでもあれば十分名の知れた桜になるのだろうが、やはり現代の近代化した町並みの中ではやはり桜もそれなりの環境の中にとけ込まないと美しさを強調できないのかもしれない。
Yくんが「桜は見られて美しくなる。」と言ったが、確かに樹形や色合いは見られて美しくなる。
同期の桜とはいわないが、日本人の生活文化の中に広くとけ込み、一番マッチするのは桜かもしれない。

2011年4月2日土曜日

今年は今が 梅

先週の東京強行軍では、朝晩の冷え込みの中桜の開花を発見できたのだが、こちら長野県南部ではまだまだ桜のシーズンを迎えることが出来ない。
例年、娘の春休み中に桜の名所をいくつか見られるのだが、今年は梅の花が精一杯。桜を見ずに前期の開始、東京へ出かけることとなった。東北関東大震災の影響でそれぞれの大学が卒業式や入学式の自粛。入学試験を行えない大学はどうしたのだろうか?

恒例の早咲きの桜も蕾が赤く染まった程度で、今は梅が真っ盛りだ。紅梅は色を染め一段とめだって近寄ればその甘い臭いを周囲に漂わせ、通常の梅はそこかしこで満開を誇っている。
梅の花は桜と異なり比較的人の生活と密接で、山桜というのは聞いても山梅というのは聞かない。それが証拠に田畑に植えられたもの、水田の土手に植えられたもの、庭に観賞用として植えられたもの。いずれも人里で生活の一部となっている。
桜の前の静けさに今は梅の全盛期、例年より少々ゆっくり足の春の訪れだ。