秋の連休、紅葉の話はまだ聞くことができずに、花の季節も一段落。この時期を狙って行けずにいる場所を訪ねることが得策と、かねてから様子を見たかった明智町の大正村を訪ねてみた。
以前に一回、大船山へ登ったついでに恵那に抜ける途中、明智鉄道の明智駅を覗いたことがあるが、まじまじとその町を歩いたのは初めて。
日本が高度成長期を迎えて以後、バブルの崩壊がまでが一つの節目で、その後古い文化はだんだんと消えて行ってしまったことをつくづく感じた次第だ。
このような、玄関を入って裏まで抜ける土間などは我々が子供の頃はまだ何軒も見られた。事実私の家もこのような造りでなじみがある。残念なことに、旧三宅家へ訪ねたときのおばさんは、このような家のわかるのは昭和20年生まれまでの人だと自信ありげに話していたが、実は日本の成長は地域によって異なり、私のように田舎の山奥で育った者は昭和20年どころか、40年生まれでもこのような家を経験上知っている。
その時代を残すことは、住民の努力の上に成り立ち大変なことだが、反面、古い時代から新しいものへと変化を遂げるのが歴史でもあり文化である。否定をするわけではなく賛同はするものの、新しいもの、変化するものを否定することとは違うのだが。わかってもらえるか?
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