2009年2月25日水曜日

今日は娘の誕生日


画像はないが私にとってはかわいい娘の誕生日が今日だ。
19年前、彼女は病院で産声を聞いたとたんに女の子とわかる鳴き声だった記憶がある。
息子の時は生まれて初めての対面が保育器だった、だが娘は特別大きくもなく、むしろ小さい方であったが出産後1時間ほど妻の横で私が抱いていた。
なんと私に似た女の子か…
その娘も今は東京で一人暮らし、勉学にせっせと励んでいる。
文系の大学にいる息子と比べ、小中高大、今までで一番勉強を強いられているのではないか?
人の命を預かる職業に就くからには、それなりの知識、何よりも覚悟が一番必要だ。
世の中の人がどうとり、どう評価するかそれは勝手だが、私にとってはこの世の中でたった一人の可愛い娘。
彼女の前途に幸多かれと祈る。

2009年2月23日月曜日

ルーリンに挑戦


次お目にかかるのは何千年、何万年といわれるルーリン彗星の撮影に挑戦した。
結果は惨敗、ぶれぶれの火の玉状態だった。
貧弱な軽量三脚にコンパクトカメラでは無理か?望遠鏡もない。
その結果登場する画像はオリオン座のM42星雲。
上記の貧弱機材で10秒露出、おそらく焦点距離200mm近辺。
ISO感度を駆使してのできばえ…
望遠鏡が欲しくなった、出来れば一眼レフのデジタルカメラも、さらには赤道儀も欲しい。
まずは赤道儀付き望遠鏡か?それならコンパクトデジカメでも何とか収まる。
出来ればノータッチで追尾するコンパクトな追尾形の経緯台がいい。
金もないのにクンクンと夢は広がる道楽親父だ。
それより子供の学費が最優先。
ルーリンは24日に地球に再接近、その後当分見られるが、彗星のテールはしばし短くなり反対向きに変わるそうだ。

2009年2月15日日曜日

高嶺山


ネバーランドの信州牛カレーが食べたくて妻と出かけた。
今回は昼食後平谷から矢作川を経由し中津川へ抜けて高速で戻る予定であったが、災害復旧で矢作へ抜ける道が通行止め。
仕方なく151を帰ることとしたが、それだけではおもしろくない。途中高嶺山へ登ってみた。
画像中央一番奥が 恵那山 であるが全く雪がない。それどころかごらんの通り緑が広がり春を思わせる。
151からそれて長者峰までの間積雪が有ったのは2箇所ほど、難なく登ることが出来る。
南の日に照らされて、南アルプスは仙丈ヶ岳以南が積雪を誇示しているがこれもまた例年に比べると白さが弱く黒が目立つ。
このまま春になるのか?そんなことは無いだろう。

2009年2月8日日曜日

木曽の御嶽山


昼近くに突然思いついて久しぶりに木曽のそばを食べに行こうと言うことになった。
すでにお目当てのそば屋さんは満席だろうと12時半頃に到着すると思ったより空席が目立つ。
春から秋にかけての行楽シーズンは昼前から混雑し、昼に行ったのでは待たなければ食べられないそば屋さんも、冬季は端境期、地元の人たちがメインのようだ。
食事後、御嶽山を見ようと開田高原へ回り込んだ、高原を通り抜けいつかこの道で行きたい高山とは反対方向へ回り込む。画像のような見事な木曽御嶽山が。
信仰の山として名高いこの山は登ったことがない。冬は別として下界とは全く違ったかなりフライングした紅葉も有名だ。それにしても日本の自然は美しい。

2009年2月3日火曜日

息子

2月3日は節分の日。
21年前のこの日は冷たい風に雪が交じり勢いよく吹き付ける日だった。私もそのときはまだ24歳。
初めての経験、不安を抱えていたことに違いはなかった。
看護師さんに言われるまでその誕生を知らなかったが、声をかけられ男の子だと知らされ初めて対面した時の情景は生涯忘れないだろう。
何とも目の大きな小さな赤ちゃんだった。

あれから21年、あっという間の月日だった。
中学から始めたテニスにとりつかれ、未だにテニス三昧だ。今ではその息子も21歳。
自ら望む大学に進学し3年が過ぎようとしている。昨今の不景気の状況で就職が危ぶまれる。
大きく羽ばたく人生を歩んで欲しいと思いながらも、やはり親元へ帰ってきて欲しいと思わずにはいられない。
これまで与えてくれた思い出に感謝しながら、これからも体を大切に元気でがんばることを願う。
画像は2005年12月従姉妹の結婚式で、大学受験を控えた高校3年生の時。